保守派と改革派に【分裂】
お釈迦様が亡くなると、その教えを整理してまとめようという動きが現れます。
中心になったのは教団の後継者のマハーカーシャッパは五百人の高弟を集め、お釈迦様がそれぞれの弟子にどんな説法をしたのかをまとめていきました。
これが第一回目の教えの整理『第一結集(だいちけつじゅう)』です
お釈迦様が亡くなって百年ほどたつと、生活も大きくかわり、守るべき規則について教団内部で対立が起こります。
そこで、主な課題『十事(じゅうじ)』をめぐって『第二結集』が行われます。
特に争点になったのは『金銭で布施を受け取ってもよいか』という事。
当時、僧侶があちこちに出掛けるにも現金が必要だった為、食べ物で施しを受けるだけでは、布教にも不便をきたしていた為です。
ところが、第二結集では、十事すべてにわたって戒律を緩めてはならないと決定します。
この決定をめぐり、お釈迦様が説いたことだけを正当とみなす『上座部(じょうざぶ)』と、時代に即して変化するべきだとする『大衆部(だいじゅぶ)』に仏教界は分裂します。
現在の『上座部(南伝)仏教』と『大乗(北伝)仏教』という二大潮流はここに源を発としています。