皆さんもご存知のとおり仏教はインドで興りましたが、ある時インドから仏教が無くなったのです。
それは隣の国ペルシャのアレキサンダー大王がインドに攻め込んできてインド中をイスラム教に変えてしまった為でした。
仏教国としてすすんで戦争は出来ないと言うことで滅びてしまったとも言われています。
その後、仏教は中国、朝鮮、日本に伝わってきましたが、いつの時も争いはしてきませんでした。
日本の平安時代の初期に三筆(弘法大師、嵯峨天皇、橘逸勢)のひとり嵯峨天皇は比叡山でお坊さんになる為に『授戒』を受けました。そして、自分が仏教徒になった暁には人を殺さない、殺させないという事を実行した為、その約100年間国家が死刑執行をすることはありませんでした。
1200年前の当時に国家が死刑をしなかったのは日本だけだったそうです。
ところが我々一人一人はどうでしょうか。
争いを好んで起こしてはいないのに、何故争いが起きてしまうのでしょうか。
それはお互いの意見を主張しすぎてしまうからでしょう。
仏様は争いを好まないのだから、こう言うときは『自分が一歩引きましょう』と言う気持ちになれば、自分の心の中から争いの種がなくなっていくはずなんです。
仏教の教えが538年に日本に伝わるまで、日本には八百万の神が居られて人が死ぬと神様に生ると言われていました。
ところが神様は良い神、悪い神、災いをもたらす神など様々な神がいたので、もし自分の親などが死んだ時に悪い神様にはなって欲しくないと皆が思いました。
そんな時に、仏教が手助けになったのです。
人が死んだ時にお葬式をしますが、先ほど話した嵯峨天皇が仏教徒になる為に受けられた『授戒』と言う儀式をお葬式でやっているのです。
それによって正式に仏様の仲間入りができ、名前も俗名から戒名になり、お弟子さんとしての名前になると、3つの約束を仏様にした事になります。
1つ目は『悪いことはしません』
2つ目は『良いことは一生懸命行います』
3つ目は『皆と仲良くします』という約束です。
そうすれば、悪い神様になるはずも無く、皆が良い神様になってもらえます。
そのことを仏教では成仏といっています。
仏教の教えを一人一人が心がけ、一歩引いて小さな争いを起こさないようにすれば、いつか徐々にですが世界が仲良くなり平和が訪れるはずです。
以上、21年秋の大祭法要のお話とさせていただきました。
ありがとうございました。