2014年 8月の法話

『敬先』

このところ雨の降る度に日本の至る所で災害が起きて、多くの方が被害に遭われているようです。本当にお見舞い申し上げます。
8月は終戦記念日ですが、歴史を振り返ると多くの戦争や戦が続いてきました。そしてその犠牲者も膨大な数になってしまっていると存じます。
我々はそういった方々の供養をしておりますが、最近この観音様にお参りして感じる事があります。それは、この敬老観音様の「敬老」という言葉について「敬」は敬う、大切にするという事で分かるのですが、「老」の方は老人の老と解釈しているままで良いのだろうか。という事です。

例えば、禅宗では大先輩、年上の方を「老師」という言い方をします。この場合は、老という字がついているだけで敬う事になっております。
ですから、たまたま敬老という言葉になっていますが、本来は先という字を付けて、「敬先」というような意味ではないかと思います。自分よりも先輩、前の人を全て含めて「先」です。我々は先に生きて来られた方々の結果、今こうやって平和な日本で無事に過ごす事ができる。ですから、言葉は「敬老」なのですが、意味としては「敬先」というように、先の者を敬うという意味で使って頂ければ分かりやすくなるのではないかと最近感じております。
先というのは、自分より前を生きている方の事ですから、現在生きている方だけでなく亡くなられた方も全て先輩という事です。この先輩を大切に扱う事になんの問題もないはずであります。この8月をきっかけに、我々が今生きている事を先人に感謝するという事を思い起こす。そんな事を今後も大切に、日本人だけでなく世界中の人々がいつまでも忘れずに想いを繋いでいってもらいたいと思います。

以上で8月の法要を終わりに致します。ありがとうございました。