『一人ぼっちなんてありえない』
皆さんどうもご苦労様でございました。今正面の御護摩の火がもの凄い勢いで燃えていますが、天井には燃え移りませんので安心して下さい。今見て頂いて分かるように一瞬たりとも同じ形の火はございません。千変万化、これはある意味で我々の心を表しています。我々の心も千変万化、日によって時間によってコロコロと変わる事がございます。しかし皆さんに先ほど添え護摩と申しまして護摩木を釜の中にお供え頂きました。そのお供え頂いた木が実はお寺様のご供養になります。それと同時にその火が我々の体の悪いところや色々な想い、そして煩悩を焼却して下さいます。またあの火が上に上っていくように皆様の願いが天空の観音様のところに上っていきます。そして観音様はこの火をじーっと見つめながら皆様の色々な念・想いを受け止めて、今観音様は「さぁどうしようか」と考えて下さっています。そして皆さんの念が強ければ強いほど観音様は、よし分かったよと力を発揮して下さいます。
今日は年に2回の護摩供養の日です。あと1回は12月18日遅めの観音様です。この4月の23日月例祭に護摩供養をさせて頂くのは大きな意味があります。というのはちょうど春になって、体調をちょっと崩しやすい時期なんですね。そんな事から、この時期にしっかりと観音様にお守り頂けるよう4月の月例祭は護摩供養とさせて頂いております。そして12月の月例祭は一年間無事観音様にお参りできましたありがとうございます。という感謝の気持ちと共に、また来年一年お願いいたしますという事で12月は護摩供養となっております。
そして我々はどこかで色んな体の痛み・苦しみ・悩みを感じています。そして一人一人それぞれに違います。それを観音様はじーっと見てくださいます。百観音と言われるくらい観音様はたくさんおられます。その中のお一人には敬老観音様がおられます。その多くの観音様はそれぞれの悩み苦しみ、どうこの人にしてやったらいいだろうかという事を考えてくださいますので、我々は後はひたすら観音様にお任せすればよろしいという事でございます。
今日皆さんに最初に観音経をお唱え頂きました。その最初の出だしの部分ですけれど、世尊妙相具(せそんみょうそうぐ)我今重問彼(がこんじゅもんび)佛子何因縁(ぶつしがいんねん)・・・と続きますが、その中で観音様は音を観ると書きます。音というのは世の中の色々な出来事、これが音ですね。我々には見えないこの音を、観音様はひとつとも見落とす事なくすべてを見渡してくださっています。ですから我々は1人ではない。観音様は自分を見ていてくれるんだ。
こういう気持ちになって頂きたいと存じます。
以上で、四月の月例祭の護摩供養の法要を終わりにさせて頂きたいと思います。