2015年 花祭りの法話

『無事こそ仏さまの願い』

本日はお釈迦様の誕生日のお祝いにご参加頂き、ありがとうございます。
あいにくの雨ですが、仏教ではこういう日に降る雨は喜ばしいとされております。

先ほど皆様と一緒にお釈迦様の和讃をお唱えさせて頂きました。
お釈迦様は約2500年前にこの世に産まれました。キリスト様より約480年ほど前になります。
現在は西洋化で、キリスト様が生まれてからの年月を西暦何年と数えておりますが、東南アジアの方に行くと今でもお釈迦様が産まれてからの仏歴何年という数え方をしております。

お釈迦様がこの世にお産まれになったという事には、大きな因縁があります。これを一大事因縁と申します。
どういう因縁かといいますと、我々生きている全ての者を救いましょう。という因縁です。
皆様にも心の底から助けてください。救ってくださいと切実に思う時が一生の内に何度かあるのではないかと思います。
それは逆を言えば、日常ではそう度々切実に困っていないという事です。即ち我々は普段はなんとか幸せに生きているという事になります。
その幸せこそが、お釈迦様や観音様のご誓願であります。

この間私の知り合いの方が自ら命を絶たれました。一つには歩けなくなったり目が見えなくなったりと体の不調があったのですが、同時にこの方は自分が頑張って支えてあげないといけないという使命感で今まで周りの人の面倒を一生懸命見て来たのですが、自分がこんな体になってしまった事でその人達を支える事が出来なくなってしまった。そんな想いも重なってしまったようです。
責任感が強かった方ですから、こういう時は正直我々でも神も仏もないものかと思います。しかし、そういう道しか選べなかったという事にも、ある意味では仏様の大きな御心というか慈悲というものを感じます。確かに自分で死ぬという事は色々な考えがあると思いますが、責任感からの重圧や体の痛みなど諸々の苦しみ全てから解き放たれた。そういう風に考えられれば、結果的には、やはり私は仏様のすべてを受け入れて下さるお気持ちを感じます。

話が重くなってしまったのですが、先ほど申し上げましたようにお釈迦様の本当の願いというのは我々が幸せに無事に暮らせる事です。従いまして、我々が今こうして無事に暮らしていける事を幸せと感じる事が出来れば、そこにお釈迦様の因縁を考えてお釈迦様に感謝しましょう。そういう気持ちを抱き続ける事が出来ればと思います。

以上で花祭りの法要とさせて頂きます。