2023年 7月の法話

『毎月のお参り』

私の知りあいの奥様がその家に嫁いでからお葬式ばかり経験しました。最初に舅さんが亡くなられて、二番目に自分の旦那さんが四十歳で冬の朝こたつで寝ていて突然死。三人目が旦那さんのお姉さんでアパートで孤独死しました。その間、姑さんは脳梗塞になって寝たきり。もう三人亡くなっているのですね。もう落ち着いてくるかなと思っていた矢先に、二十歳なった長男がバイクで激突してしまった、今度は四人目です。そして、五人目がずっと寝込んでいたままの姑さんです。

そして残ったのは娘一人。しかし生きてはいかなくてはなりませんから、何とか頑張ってきたのですが、今度は詐欺に遭ってしまいました。あなたのところに不幸が多いのは、あなたが不信心だからこういうことになるのだと言う人が現れて、その人の言う通りにしていたら気がついたら何百万とお金を持っていかれてしまいました。その後、娘さんは結婚できたのですが、その娘さんの旦那さんが他所に愛人を作って出ていってしまったと。

もうこの世も無いものかとそういった状態にいたのですが、ある時に私のところに参りまして「もう私は生きていく張り合いがない。だけど娘がいるから死ぬわけにはいかない。どうしましょう。」ということで見えられました。 私はあなたが不信心だとちっとも思いません。但しもし良かったら、仏様にお参りをしたらどうですか。月一日縁日というものがありますから、その日ぐらいは何時でも良いからお参りしていったらどうですか、と進めさせて頂いたんですね。そしたら翌月から毎月決まった時間にお参りに見えるようになって、良かったなとこっちもほっとしていたら、その一年後に自分たちを騙した詐欺師の人が見つかって逮捕されました。逮捕された後、今度は娘さんに新しい恋人ができて結婚されました。しばらくすると男の子が産まれ、第二子、第三子と立て続けに男の子が三人産まれました。そして今その家庭は本当に何の問題もなく幸せに普通の暮らしを営んでおります。

本当にどん底の時の奥さんの顔、今でも忘れられません。しかしそれが、段々と笑顔がたくさん溢れてくるようになりました。これを一口で仏様のおかげだというのは簡単なのですが、それは話を聞いた皆さんがどう受け止めるかということになります。そして今では奥さんの家族も全て熱心に仏様を拝むようになっております。こういう話も現実にございます。

話は変わりますが、四万六千日という言葉があります。これは一般的には七月十日に浅草の浅草寺にお参りすると、観音様に四万六千日分お参りをした功徳があると言われています。そこで浅草寺では、ほおずき市というものをやっています。これはやはり我々は一回のことで全てを楽にしようというのは中々用意ではありません。 コツコツとお参りをする。これがいわゆる信心に繋がる一番の近道でないかなと思います。
したがってこのように敬老観音様にお参りいただける皆さんは、それこそコツコツコツコツ続けておられます。この観音様の功徳は四万六千日どころではないのではないかと思います。我々の信心というのは自分の気持ち次第、考え次第になります。自分の身の上に降りかかったことが良いことであれ、悪いことであれ、観音様がどう取り計らってくれるのかそれを我々が念ずる。念ずるということが観音様へ気持ちが届くということになってまいります。

今日は重たい例え話をさせて頂きましたが、今その家は非常に和やかに幸せに暮らしておりますし、これも全て観音様・仏様の功徳だと。そして私の法話で皆さんにお話しさせて頂いて、後は皆さんがどう受け取って頂けるかということになります。そんなことでひとつ毎月お参りをするという事は、本当に自分の中に大きなものを養って継続しているのだということをお話しさせていただきました。

以上を持ちまして、7月の法要を終わりにさせていただきます。