2014年 春の大祭の法話

『仏を求める心は同じ』

お経をお唱えしたせいでしょうか、皆さんのお顔が輝いて見えます。
今世界中で色々な国騒動が起きており、私も胸が痛い限りです。ついこの間ですが、中国の天台山国清寺というお寺に行ってまいりました。少しこのお寺のお話を致しますと、今から1200年前に比叡山を開かれた伝教大師(でんきょうたいし)最澄(さいちょう)様が遣唐使の船に乗って中国に留学致しました。その時着いた場所が中国の寧波(ねいは)という上海からずっと南に行ったあたりの場所でした。その寧波から約20km山間に入ったところに天台山という大きな山がございまして、その麓に国清寺というお寺がございます。このお寺は伝教大師様が尋ねられた時には既にそこにあり、お寺が出来てから約1400年の間途切れる事なく修行が続いております。その間お坊さんがずっと居て、今も200~300人ほどおられます。
今回は、その国清寺の方にご挨拶に行って来たのですが、その時につくづく感じたのはやはり中国も仏教国だという事です。それからお隣の韓国も仏教の国です。我々は国同士の政治となるとなかなか難しいところがありますが、仏教というところで進んでいきますと分け隔てはございません。みな同じ道を求める仲間でございます。そして、その仏教がはじめは北インドでお釈迦様の元にスタートし、あるいはヒマラヤ山脈を越えて、あるいはインド洋を越えて、そして中国へ渡り、東南アジアへ渡り、そして韓国へ渡り、最後日本へ到着したという歴史がございます。そしてこの仏教の最大の教えは、人を区別、差別しないというのが一番の特徴です。ですから我々はお釈迦様の教え、あるいは仏教というものを念頭に置きます時は、我々みんな同じ仲間でございます。そしてつくづく感じますのは、人間同士胸襟を開いて付き合う事が出来れば、そんな本音の付き合いが出来れば我々は難しい事にならないのではないかという事です。ともすると我々は建前が最初に来てしまいます。そして建前や大義を一度振り上げてしまいますとなかなか振り下ろす事が出来ません。正直のところ人間は本音と建前を持っているわけですが、本音の部分もとても大事です。その建前と本音のバランスをうまくとっていく事が出来れば、国を隔てても仲良くやっていけるのではないかなとしみじみ思いました。

 

今日は敬老観音様の春の大祭という事で皆様とお経をお唱えさせて頂きました。
その中に、九条錫杖(くじょうしゃくじょう)という表題が出ております。錫杖(しゃくじょう)とは昔お坊さんが道をあるく時に振りながら歩いたものです。これは音が出るので通りにいる虫などがその音で逃げて道をあけてくれる事で踏まずに済む。殺生はしないですよという意味です。これが錫杖です。
そしてこの九条錫杖という内容を簡単にまとめてお伝えしますと、
我々はみんなそれぞれに願いや苦しみを持っております。その苦しみをどうやって消し去る事が出来るか?あるいは、色々な願いをどうやって成就する事が出来るか?その為にはまず我々が最初に発心をする事から第一歩が始まります。何を発心するか?それはまず仏を信じる事が第一歩でございます。仏を信じる事によって我々の気持ちが優しくなります。それによって様々な苦労から自然と離れる事が出来、願う事が叶います。
最後になりますが、錫杖はある時には小動物を生かす為の道具であるけれど、今日のような日は皆様の心の悩みや苦悩を消し去るという意味で使わせて頂きました。冒頭に皆さんのお顔が輝いて見えますと申しましたが、実は皆さんの中からお経をお唱えしている間一瞬、苦しみなど色々な物が消えていたのです。それによってお顔がとても輝いて見えたのです。

以上で平成26年春の大祭の法要を終わりにさせて頂きます。ありがとうございました。