2017年2月の法話

『お互いを認め合う』

 先日、比叡山で画期的な事がございました。
それは、比叡山と西本願寺が合同で法要を行ったのです。未だかつてなかった事です。
他力本願という言葉を聞いた事があると思いますが、その他力本願というのが本願寺です。それに対し、比叡山は自力本願です。他力と自力という事で昔は非常に仲が悪かったのですが、ようやくここにきて合同の法要をしようという事になりました。
私も西本願寺に行って来ました。西本願寺の大きな本堂が門徒の信者で埋まっておりました。法要を一緒にさせて頂き、本当に感激しました。
 昔はそれぞれがそれぞれの主張をし、相手を認めるという事がお互いに出来ませんでした。これは比叡山と本願寺だけではなく、みんながそうでした。ところが、今の世の中いろいろな人がいろいろな風に暮らしております。いわば多様性を認めないと、世の中やっていけなくなったという事です。
世の中には自分と同じような人ばかりじゃなく、自分とは違う人も沢山います。現実、日本にも海外から大勢の人達が来ております。それぞれ習慣、言葉、みんな違います。だからと言ってその人達を排除するのは平和的ではありません。そういう方々とも仲良くしていかなければなりません。それにはやはり、それぞれがそれぞれに違うという事をお互いに認め合う事が大事です。まず、相手の良さを認める。これは生活に限らず、キリスト教ならキリスト教の良さを認める。イスラム教ならイスラム教の良さを認める。お互いがお互いの良さを認め合い、そしてお互いが否定し合わない。そういう事が出来れば、本当にみんなが安心して暮らせる世の中が来ると思います。
そういう分けで、日本の仏教の歴史の中にも自力と他力で今まで犬猿の仲だった者が一緒に手を結ぶ事が出来ました。
 もう少し前の事を言いますと、比叡山と高野山(昔は最澄と空海)は、喧嘩別れみたいになって以来うまくいっていなかったのですが、ここにきて比叡山と高野山とで交流が始まりました。
日本の社会も段々と多様化が進んでおります。今回の合同法要はそういう事を象徴しているのではないかなと本当にうれしく思います。
 よく他力本願と言いますが、一言で言うと「まな板の上の鯉」と考えて下さい。自分はじたばたせず、もう勝手にして下さい。お任せします。というのが他力本願です。誰にお任せするのかと言いますと、南無阿弥陀仏です。阿弥陀様に全てをお任せするのです。それに対し、自力本願は、自分はまだ頑張れるかもしれないからもうちょっとやってみようというのが自力本願です。自分にはどっちが性に合っているか自分で判断し、自分で決めて頂ければ宜しいかと思いますが、自力もあり、他力もある。これがこの世の中だという事になります。

以上で2月の月例祭の法要を終わりにさせて頂きます。