『無事1日が終わりました。今日もありがとう。』
今日はあいにくのお天気ですが、お参り下さいましてありがとうございます。
このように皆さんのお顔を拝見しておりますと、非常にいいお顔をされているなと改めて感じております。
このお顔を四六時中していられれば、何の迷いも、何の心配も、何の苦しみもなく生活出来るのではないかと思います。
さて、皆さんと一緒にお唱えしているお経は、大元は法華経と申します。この法華経の中に書いてある事ですが、例えば食べる物や品物や楽しめる事など一生をかけて他人のために施したとしても、この法華経というお経を読む、あるいは書く、あるいは理解する、あるいは人に伝える。これに勝る功徳はないと書かれております。
ですので、今日のようにお経を読むという事だけでも大変な功徳があるのです。
ですが、我々は正直なところ、お経を読んだ功徳は実感出来ません。でもこれは自分が実感できないだけであって、今日元気に観音様にお参り出来た。これだけでも本当は大変な事なのですね。
実は四日前に私どものお檀家さんですが、出張中のホテルで突然死されました。
去年ご結婚されたばかりのまだとても若い方ですが、心臓マヒだったそうです。
我々は自分の体がいつどうなるかは誰にも分かりません。
今日は元気だけど明日はどうなるか分からない。だから今こうしてお経をお唱えする事が出来る、食べ物が美味しい。元気で何事もなく過ごせた事自体が、ありがたいなと感謝出来る事ではないかと思います。
そして、この今をありがたいなと感謝する。そういう気持ちを持つ事が、実はお経を読んだ事での功徳に繋がってくるのですね。
我々は、自分ではなかなか功徳は実感できませんが、他の方から見るとあの人はいつも元気でいいな。いいお顔をしているな。と感じている人がいるかもしれません。そんな時、あの人は実は観音様にお参りしてお経を読んでいるんだよと聞くと、事情が分かる人ならあーやっぱり。功徳を頂いているからいつも元気なんだと良く分かるわけです。ましては、一番それをご存知なのは観音様です。
観音様は皆さんお一人お一人をご覧になって、今日もいい顔をしているな。よしよし。今日も食事が出来ているようだな。よしよし。と喜んでおられます。
いつもお話する事ですが、このように月に1度観音様にお経をお唱えする事で、我々は目に見えない沢山の功徳を浴びています。
目には見えないそれに気がつけるようになるには、日頃から何事もなく過ごせている事に感謝の念を持つこと。それをすればおのずから読経の功徳が肌に感じてわかるようになると思います。
以上で11月の月例祭の法要を終わりにさせて頂きます。