2016年 8月の法話

『眼に見えないものを感じる』

8月はお盆の行事があちこちで行われています。有名なところでいうと、京都五山の大文字焼きですね。この8月13、14、15日のお盆の期間というのは、家に帰ってきたご先祖様と一つ屋根の下で一緒に暮らすという事になっております。しかしながら、神様や仏様というものは我々の眼で確かめるわけにはいきません。
そこで、先ほどお唱えした般若心経の中の有名な一節で、色即是空(しきそくぜくう)という部分があります。これは平たく言うと、我々の目で確かめられるもの「色(しき)」はすなわち、これ「空(くう)」なり。つまり、我々が眼で確かめているものは、実際には形のないものだという事を言っております。
この後に、空即是色(くうそくぜしき)という句が続きます。ここでは、本来は眼に見えないものも、眼で確かめられるものなのだと言っています。
非常に哲学的なところなのですが、先ほど申し上げたようにご先祖様や仏様は眼で確かめる事はできません。しかし、我々はその存在を感じる事はできます。もう少し言い方を変えると、我々は人の心というのは見えません。見えないですけども、その人の動作や表情でこの人は優しそうな人だなとか、怒っているのかなという色々な事が分かってきます。従いまして、般若心経の中のこれらの一節で伝えたい事は、「我々は眼に見えるものばかりにとらわれ過ぎていると、本来眼に見えるものが感じられなくなってしまう。眼に見えないものを大事にする事によって、眼に見えない仏様や神様もやがて感じられるようになりますよ。」という事を言っているのだと思います。
般若心経というのは沢山の解説本も出ているのですが、我々の立場からいいますとそんなに難しいものではなく、「眼に見えないものを大切にしていけばいい」とこのようにシンプルに考えて頂ければ宜しいのかなと考えております。

以上で8月の法要を終わりにさせて頂きます。

皆様、お暑いなかお集り頂き、誠にありがとうございました