2017年 6月の法話

『精進で必ず花開く』

今日はあるご夫人の方のお話からはじめさせていただきます。
そのご夫人は小学生の時、「NHKのど自慢大会」で新潟で最初に優勝された方らしいです。それからそのご夫人は歌手を目指していろいろな所で歌っていたのですが、年齢に伴い声が変わってきてしまい、歌謡曲の歌手になるのは諦め、歌の勉強をすることにしました。
イタリアから兵庫に来ていた女性の先生にソプラノを教わり、その後音楽大学に進みました。
 
 大学生の時に旅行で訪れたインドでは、修行にきていた日本人のお坊さんと出会い、その後そのお坊さんと結婚されました。
結婚後、厳しい修行に打ち込んでいる夫の足手まといになってはいけないと、音楽の道を諦め、縁の下の力持ちとして何十年も音楽から離れた暮らしをしていました。その間人前で歌うことは諦めていたのですが、家に1人でいる時は発声練習などを続けていたそうです。

 そして八十路を超えて初めて自分の歌のCDを作成しました。私はそのCDを頂いたのですが、本当に年齢を感じさせないソプラノの高い音で歌っておられました。
人知れず声を出す練習をしてきて、八十路でCDを作られたというのは素晴らしいことだと思います。

 この方は特別な例かもしれませんが、我々は誰しもその気になって努力をしていると花は開くのだなとつくづく思いました。
この努力という言葉、仏教では精進ということになります。精進というのは非常に口で言うのは簡単ですが、毎日の生活の中で精進ということを考えるとなかなか難しいところがあります。
例えば今日お唱えさせていただいたお経も、長いものは観音経、自我偈、短いものは般若心経、さらに短いもので南無阿弥陀仏。この様なお経を毎日お唱え続けるのも精進です。
我々は日々の生活の中で何を精進しているのか考えた時、難しいものです。(自分からこれをやると決めて実行している方は別ですが)例えば毎朝顔を洗うのと同じように、日常以外のところで何かをする。精進というのは続けることによって必ずいつか花が開きます。
 花が開くというのは、小学生から歌を始め、八十路で初めてCDを出された方のように、80歳を過ぎて花が開く場合もあれば、もっと早く花が開く場合もあります。花が咲く時期が違うのはいわゆる仏様のご縁ということになります。
日々気楽に過ごせればいいのですが、そういうわけにもいきませんので、暮らしの中でひとつ精進するということがあってもいいのかなと思います。
難しいことではなく、例えば朝起きたときに「あ、今日も目が開いて、息をしている。あぁ良かった。ご本尊様ありがとうございます。」と、毎日布団の中で手を合わせるのも立派な精進です。その結果花開くということになります。日々の生活の中の些細な事でも精進になるということを気に留めて生活していくのも良いと思います。

先ほど話をした80歳を過ぎてCDを出された方ですが、京都の大原の三千院の門主の奥様です。

以上で6月の月例祭の法要を終わりにさせていただきます。