6月の法話
『経験と知恵』--------------------------------------

今世界では、サッカーのワールドカップが南アフリカで行われているので、寝不足の人が多くおられるようでございます。
私も日本が試合をする時は見ようかと思っているのですが、ついつい眠気に負けてしまっています。
どうもこのサッカーを含めて、スポーツの応援というのは身贔屓(みびいき)というのがありまして、自分の国が勝てば良い、そうすると逆に相手が負ければ良いという発想になります。
これがスポーツの間だけならいいのですが、国と国との関係とか、色々なものになりますと騒動の原因になりやすいんですね。この身贔屓というのは。
国と国との事だけでなく、例えば近所の付き合いにおいても、あまり自分の事ばかり考えた行動をしているとうまくいかなくなってしまいます。ですから、身贔屓というのは悪くはないのですが、その反面問題も起こしやすいものだという事を頭に入れておいた方が良いなかと思います。

最近僧侶の研修会がありそこに参加したのですが、講師で養老孟司先生がお見えになっておりました。
講義の内容はひらたく言うと心と科学の問題だったのですが、『科学では、心の問題は解決出来ません』とはっきり言っておられた事に関してなるほどなと感じました。
直接科学に関係する事ではないですが、以前私の手の爪がおかしくなりまして、家族と相談し皮膚科へ行ったんですね。
そうしましたら大分年配の男性の先生が出てきまして、手を見せたところ『君、ちょっと待ってくれたまえ』
と言い残し、奥に行ってしまいました。
しばらくすると分厚い本を手に戻って来られて、私の前で本を開き読み出しました。
その本には色々な症例が出ているようで、私の手と見比べながら『これも違う』『んーこれも違うな』と言いながらペラペラと本をめくっていたところ『君、この症状に似ているではないか』と先生が言うんですね。
私も本を覗き込んでみると、思わず『あっ本当ですね』と、先生も『この病気かもしれないね』といった感じで、この病気だとこの処方をすれば良いという事で薬を頂いてきた事がありました。

我々はお医者さんと聞くと、どちらかというと科学の範疇だと思います。
だけれども、一例で全てを判断しては申し訳ないのですが、お医者さんというのは憶測で病状などを判断するわけにはいきませんから、やはり実例を重んじて判断している事が多いのではないかなと感じました。

私の住んでいる近所に老年の病院というのがありまして、そちらにいる先生という方が今から2、30年くらい前に名医と地域では呼ばれていました。
なにが名医かといいますと、高齢者の方が倒れた場合、脳梗塞や脳卒中など色々なケースがあるわけですが、先生はそれらを見分けるのが早かったんですね。
今は、CTスキャンとかMRとか色々な機械を使って診断しますが、2、30年前はこれらの機械は行き渡っていないですから、それなのにこの先生は素早く的確な判断をしていたそうです。 それで名医と呼ばれていたんですね。

私はその先生に診てもらった事はないのですが、偶然お話する機械があったものですから、『先生は昔、名医と呼ばれていたようですが、何か特別な勉強をしていたのでしょうか』と聞いてみたんですね。すると先生は『とにかく勉強はしました。沢山の実例を見てひたすら頭の中に叩き込みました。それがあるから、だいたい当たるようになったんでしょう』と言いました。
これは経験主義と言うんでしょうか、我々は生きて行く上で経験というものに頼っているんだと思います。
ですから自分が初めて経験するものに関しては、非常に不安を覚えるわけです。
従って、我々は長い間生きて色々な事を経験していると、ものに動じなくなってきます。しかし、経験というものが絶対かというとこれはまたそうではないんですね。
自分が経験した事でも、相手が同じようにそれを経験しているか分からない為、人によってあらゆる物の感じ方は違ってきます。
例えば月の模様を見て、ウサギと感じる人や蟹に見えると感じる人がいるような場面で私はカニに見えるという人に絶対ウサギに見えるんだと言い張っても意味がないですからね。

そういうように、我々は経験によって暮らしていくんだけれども、それ以外の幅を懐の深さといいますか持っているといいと思います。
その幅とは何かといいますと、仏様で言うところの『知恵』なんですね。
この知恵を、経験にあわせて上手く噛み合わせて行くと、暮らしはなんとなく上手くいくようになります。
ですから、この知恵と経験を上手く組み合わせいく作業が大事なんですね。
また、この知恵を知恵として記憶しておくだけではなく、どうしたら有効利用出来るのかを考えておく事も重要です。
例えば自分が嫌いだとか苦手だとか感じる相手がいた場合、同じくその相手も自分に対して同様の感情を持っている事が多いようなので、なぜその相手が苦手なのかと考えてください。些細な事かもしれませんが、必ず何か原因があるはずです。
そういう時に仏様の知恵を思い出すと、仏様の知恵では身贔屓してはいけない、偉そうにしてはいけない、などという事になっていますから、その知識と照らし合わせて自分がした事が正しかったのだろうか? 相手にとって嫌な事ではなかったいのか?と考える事が出来、結果原因が分かるものなんですね。
そこで原因がわかれば、我々は気持ちが安らかになってきます。
ですから、我々は経験の中で生きているんだけど、その経験の中にプラス知恵や知識をうまく活用していく事で我々は安らかに暮らす事が出来ると思います。

以上で6月の法要を終わらせて頂きます。ありがとうございました。