2018年 春の大祭の法話
『敬老思想』毎回法要が終わったあと、その日の法要について簡単に説明させていただいておりますので、今回も今日の法要についてお話します。
金剛薩埵(こんごうさった)という仏様がおります。その仏様は後ろにいる金剛の優れた仕事が成功するように祈っております。今日は略式なので私がお唱えしましたが、本来は私のような導師ではなく、周りにいるお坊さんがお唱えするものです。
次に、表白(ひょうびゃく)とあります。これは神様の祝詞のようなもので今日の法要の趣旨を敬老観音様に申し上げたわけでございます。
次のメインとなる部分では、九条錫杖(くじょうしゃくじょう)とあります。錫杖(しゃくじょう)とは修行僧が持つ杖のことです。お経を唱えながら錫杖を振って音を出し、魑魅魍魎(ちみもうりょう)などのいろいろな害を追い払っています。
九条錫杖の最初にあるのは、
「手執錫杖(しゅじしゃくじょう)」錫杖を手に取り
「當願衆生(とうがんしゅじょう)」まさに願わくば衆生は
「設大施会(せつだいせえ)」大きな施しの行事を行って
「示如実道(じにょうじつどう)」真の道を示すが如く
「供養三宝(くようさんぼう)」三宝(仏・法・僧)を供養しなさい。
と、繰り返しております。
次に書いてあることは、まさに願わくば衆生は天人の師となり、この大きな宇宙に願いが満ずるように。そして、
「度苦衆生(どくしゅじょう)」苦しむ人々を救う仏の世界を囲んで、三宝(仏・法・僧)を供養しなさい。
そして次に、
「値遇諸仏(ちぐしょうぶつ)」諸々の仏に出会い
「速證菩提(そくしょうぼだい)」そして速やかに悟りをあきらかにしなさい。
という意味になっております。
要は、幸せになろうと思った時、自分1人のことだけを考えていたら本当の幸せにはなれません。周りの人の幸せも共に祈れば必ず幸せになれますということです。そういう人には仏様は必ず手を差し伸べてくださいます。という風に受取ってくださるといいと思います。
今の時代、技術はどんどん進み、なぜか人間の大事な気持ちの部分が後回しになってしまっている気がします。だからこそ、我々は先人がやってきた行いをよく見直すことで、自分を取り戻すことが大切です。そうして行くことで、新しい行き方が生まれてきます。敬老思想という言葉がありますが、先人のやってきたことを大切に見習うという気持ちがあってこそ初めて次の代に継いでいけるのだと思います。そういうことで敬老観音様は建立されたわけです。敬老観音様が我々を見守っていてくださるということは、敬老の意味をしっかりと受け止めることが大事ではないでしょうか。
以上で春の大祭の法要を終わりにさせていただきます。