2024年 6月の法話
『祈り方は様々』今年は雨が少ないようで群馬も水不足が心配されています。恐らく東京も水不足になるのでないかと心配されます。この水というのは地球を循環しています。海になったり雨になったり雲になったり雪になったり、そして水になったり。水は命の源と言われております。我々生き物は皆、海の中から生まれてきたとされています。ですから出所は一つとなります。それと同じように仏様の教えもいろいろございます。
一番分かりやすい話で言えば、南無阿弥陀仏という教えがあります。それから坐禅という教えがあります。それから南妙法蓮華経という教えがあります。それぞれ目指すところは全て一緒なのですが、その方法が違う、通り道が違うということになるのでしょうか
例えば南無阿弥陀仏の場合よく言われるのが、他力本願という言い方をします。この考え方を言いますと、お任せしなさい、何事も全て阿弥陀様にお任せすれば良い、自分は何一つ計らってはいけないのだと、そういう教えに繋がると思います。逆に坐禅の教えと言いますと、よく足を組んで行う坐禅の形があります。そして心を無にしなさい、何も考えるなと。そして坐禅にはもう一つ、いろいろな物事の本質を突き詰めて考えなさいという教えもあります。一方では無にしなさい、一方では物事の本質を突き詰めなさい、これを坐禅でしなさいと。これが坐禅の教えです。南妙法蓮華経の教えになりますとこれは一生懸命祈りなさいと。自分に祈るのではなく人のために祈るだという考えが強くなります。このように祈りの代表的な教えとして、南無阿弥陀仏・南妙法蓮華経・坐禅といろいろとあるのですが、それぞれが目指すところは一緒で仏様の世界ということになります。ですから区別はありません。その人がその人に合う方法でやれば良いということになります。
ですから我々も日々暮らしている中で、自分のやりやすい方法で観音様に接していけば宜しいのではないかと思います。一生懸命声を張り上げてお唱えすることも一つの方法、また心の中で静かに念じてお唱えするのも良し、時間があればあちこちの観音様へお参りするのもまた宜しいかと思います。それぞれのやり方、それぞれの方法で観音様に接していくと。そういった中から必ず観音様の救いというと大袈裟ですが、ああ観音様良かったなという実感が湧いてくるのではないかなと思います。
皆様の自分にあった方法で観音様に接していくことが観音様に近づく、あるいは理解できる方法だということをお話しさせていただきました。
以上を持ちまして、7月の法要を終わりにさせていただきます。