2024年 9月の法話

『心の目、心の耳』

今日の法要の中に「衆罪如霜露 恵日能消除 是故応此身 懺悔六根清浄」とございます。意味から申し上げますと、諸々の罪は雨や霜のごとく、お天道様の光で消えてしまう。真心を捧げて六根を反省して清浄にと書いてあります。 これはどういうことかと言いますと、皆さんがお焼香をしている間にお唱えさせて頂いた般若心経の中に「眼耳鼻舌身意」という6つの言葉が出てきました。これは生きていく上で大切な感覚基幹ですね。見る力、聞く力、匂いを嗅ぐ力、探る言葉、触る感触、最後は心。この6つが備わって我々は普通に生きていけるのです。しかし果たしてこの6つがいつも正常に機能しているだろうかと考えますと、例えば目についても心の目という言葉があります。自分が目に入るものではなくて真実の姿、見えないものが見える心というものがあるわけです。その目で真実を見つけなければならない。しかし我々は目に見えるもので惑わされてしまう。それが諸々の罪の一つです。耳もしかり、鼻もしかり、しゃべる言葉も然りです。

現在はネットというものが発達してSNSが飛び交っています。ところがそのSNSがどこまで真実を伝えているのでしょうか。それが甚だ疑問です。だから我々は心の目、心の耳で物事を正しい判断をしなければなりません。
そのために我々はまず仏様に、自分の使っている目や耳、全てを使っておらず誠に申し訳ございません。と書いてある言葉が最後の行になります。
今はいろんな自然災害が起こっています。本当にご苦労されている方がたくさんいらっしゃいます。それから地球上ではいろんな紛争がございます。だけどもそういったものが電波を通して目や耳に伝わってきたとこに真の姿が伝わってくるのでしょうか。自分の目の前で撃たれた子どもを見たらどうでしょうか。映像で見ても、我々もかわいそうだなと思いますが、本物ではありません。映像では悲しみが伝わらないのです。

それを分かろうとするのが仏の心です。ですから仏様は全ての人々をいつも見ております。そして我々が犯すいろんな罪を悲しんでおります。よく慈悲の心と言いますと、慈は愛しむ心、悲は悲しむ心です。仏様は常に我々を見守ってくださっています。ただそれに我々がなかなか答えられない。答えるために、普段我々が使っている感覚機能を心の機能として変換する、そして仏様に返すと。これが我々の本来の心です。この心が地球上の全ての人に行き届けば、紛争なんか無くなるわけです。現実的には無くなりませんが、その理由は我々人間がいたらないのです。そこに目を向けなければなりません。心と向き合うために我々は正しい目で正しい耳で仏様に接していきたいものだと思います。

以上を持ちまして、9月の法要を終わりにさせていただきます。