6月の法話
『信じるもの』

梅雨の合間ですが今日はいいお天気になりまして、山々の緑も雨に洗われて色鮮やかに生き生きと見えております。
昨日、京都大原三千院の御門主がお亡くなりになられました。大正11年生まれ、満91歳でしょうか。非常に素晴らしいお方でございまして、いずれは比叡山の天台宗の座主猊下(ざすげいか)になられるお方でしたが、残念ながら途中でリタイアされてしまいました。
考えてみますと、我々もそれぞれに目標やこうなりたい等の希望を持っていると思うのですが、現実的にはなかなか願う通りにならないのがこの世の中だと思います。そういう中で、自分は「一番これだけは信じたい」という信念に通じるようなものを持つ事は難しいのが正直なところだと思います。皆様もこれだけは信じるんだと自信を持っているものが、すぐに言えますか? なかなか難しいのではないでしょうか。自分の健康であっても100パーセント信じられません。それから人との付き合いにおいても、あの人は絶対私を裏切る事がないと信じられる相手がいるかどうか…?
長年連れ添った夫婦でさえもなかなか難しい所があるのではないかと思います。
そこで、この世の中で自分が信じられるものは一体なんなのかと考えてみた時に、今このように毎月皆さんとお唱えしている、このお経の功徳というものが信じられる事ではないかと思います。
読経をする事での功徳は、確実に体の中に蓄積されていっております。なかなか我々にはピンと来ませんけども、これがいざという時に力を発揮してくれます。その事は、経文の中にも当然出てきますし、私もそういう事を見たり聞いたりしております。
ですから、皆さんがこの先本当に参ったなーという時には、必ずこの読経の功徳が発揮されるという事を信じてみてください。逆を言えば、この功徳が発揮されたと感じる事無く、平和に生涯を終える事が出来たなら、それ自体が功徳のおかげだと思います。
これらの事は亡くなられた三千院の御門主がよく仰っておられました。
我々は生活している中で1+1=2になると普通考えております。でも心の中は1+1=2とはいきません。そう簡単にはいかない人の心をしっかりと固めてくれているのは、やはり仏様や観音様です。その観音様に対してお経をお唱えしているという功徳は、確実に蓄積されていますよ。ですから、あまり難しい事は考えずに、これからもお経を読む事を続けて下さい。

以上で6月の月例祭の法要を終わりにさせて頂きます。
どうもありがとうございました。