6月の法話
『1000年の昔と今。人は何が変わったのか。』

この前の台風ではあちらこちらに被害がでたようでしたが、熱海の方は大丈夫でしたでしょうか。
私のお寺も桜の木と杉の木が倒れましたが、幸い隣の家にも被害が及ばなくこれも本尊様のお陰だなと安堵致しました。

先日、青森県の下北半島の恐山に行ってきました。恐山というのは皆さんもご存知の通り日本の三大霊場です。
三大霊場というのは、①比叡山 ②高野山 ③恐山の3つですが、その内の 恐山にはイタコさんがおられ、この方達は亡くなられた方とお話できるというので有名です。

恐山を開かれたのが比叡山の第三番目の住職、座主になられた慈覚大師円仁さんという方です。
来年慈覚大師円仁さんが亡くなられて1150年を迎えるので、比叡山のほうでは御遠忌ということで一生懸命やっているところです。
ですからせっかくの御遠忌なので、私も慈覚大師円仁さんが開かれた恐山にお参りに行って参りました。

この他にも慈覚大師円仁さんはたくさんのお寺を作りました。
松島の瑞巌寺、山形の山寺(立石寺)、中尊寺もそうですね、そのお陰でそれぞれのお寺が今も立派に活動できております。

それにしても一言で1150年と言いますが、長いものです。
今大河ドラマで平清盛がやっていますけども、これも約1000年前のお話ですね。

1000年前と今の時代と一体なにが変わって、変わらないものはなんだろうか?と考えてみました。
もちろん我々の暮らしぶりは平安時代から、がらっと変わりました。今は宇宙に人が行き、飛行機が空を飛ぶ時代です。 だけどその1000年の間、人間のなにが進歩してきたかと言うと文明が進歩しました。そして、その文明が、原子爆弾を作り、原子力発電を作ってきました。
だけども本当に我々の気持ちが豊かに、幸せになったのだろうかと考えてみると・・・、どうかなと思います。
一人一人胸に手を当てて、私は本当に心から幸せ、何も言うことはない、心配することはないと自信を持って言える方はあまりおりません。誰しもがどこかに不安、恐れ、心配を抱えております。
そういう状態が、実は1000年前とあまり変わっていないのです。ですから変わらぬものは人間の気持ち、心なのです。 1000年前の人もやはり不安、恐れ、心配を同じように持っていました。そして1000年前の人は不安、恐れ、心配に対して救いを神仏に非常に強く求めました。
ところが1000年たった今、神仏に救いを求めることがだいぶ弱くなってきたというのが今の世の中ではないでしょうか。と、同時に神仏に救いを求める心が弱くなった分、逆に悩み、心配が増えてきているのではないかと思います。
ですから我々は1000年の昔を思い出す時に、もう一度、神、仏に対する自分の気持ちを見つめ直し、自分が生きている事、暮らしていける事への感謝を、神に仏に、または観音様に求めましょう。
感謝こそが我々の心が安楽に幸せになれる正しい方法かなと恐山にいって痛切に感じてまいりました。

以上で今月の法要を終わりにさせて頂きます。