秋の大祭 法要
『1人の時こそ、1人ではない。』--------------------------------

今日はじめに読んだ四奉請(しうぶじょう)というお経ですが、これはお経を唱えながら紙の造花を仏様のまわりにまかせて頂く事で、如来様、お釈迦様、阿弥陀様、観音菩薩などのもろもろの菩薩様に、この場所に来て下さい。という事をお願い致しました。
ですので、目にはみないけれども諸仏諸菩薩(しょぶつしょぼさつ)様が周りにいる中で、我々は一緒にお経をお唱えさせて頂きましたので、今 諸仏諸菩薩も大変喜んでおられると思います。

話しは変わりますが、昨日見ていたニュースの中で出演者の一人が、
『大震災などがあった今だからこそ、我々は一人で生きているのではない。周りの支えがあってこそ生きていられるという事に気がつかないといけない。』と言っていたのですが、それに対して司会者が『一人暮らしの高齢者がどんどん増えている時代に、そういう事は言える物でしょうか?』と聞き返していました。
私はその司会者の言った事は逆だと感じたのですが、一人暮らしでも生きていられるというのは、近所や、役所など周囲の支えもあるからこそ一人暮らしでも生きていられるという事だと思います。
ですから、一人暮らしだからと言ってその方が周りの支えもなく一人の力だけで生きているかというと、そうじゃないのでは、と感じました。

なかなか世の中は目に見える部分に気持ちがとらわれてしまって、見えない部分に気がつきません。
そういうところに目を向けなければならないのではないかと感じました。

目に見えないところで色々な人たちの力や関係があって、人は生きていられます。さらに、周囲の人の力だけではなく、仏様というのは目に見えないけど必ず我々の周りにおられ見守って下さっています。
そして、なんとかして助けよう、救ってあげようという誓いを持っています。
そういう仏様が目にはみえないけども、周りにはおられます。
決して自分は一人ではない。そういう目には見えないものも沢山支えてくれているという事に気がつけば、目はもっと開かれて、もっと先が見えて、もっと広く見えて、気持ちも広くなるのではないかと思います。

台風が過ぎて本日はいいお日和になりました。
そんな中で31回目の大祭が開かれました事を、本当に喜ばしく思っております。

以上で、秋の大祭の法要を終わりにさせて頂きます。

ありがとうございました。