8月の法話
『多様性を理解した上で主張しましょう』

この前、群馬の伊勢崎市に行ってきたのですが、こちらも非常に暑かったです。
この暑さの中ですが、比叡山では8月21日〜25日まで戸津説法という行事が行われました。これは比叡山の高僧の方がこの5日の間に法華経というお経を解説して下さる行事です。
その法華経の中に薬草喩品(やくそうゆほん)というお経がございます。
どういうことが書かれているかというと、例え話ですが、『一度雨が降るとこの雨は大きな木だけでなく、小さな木も、また地面に這いつくばっている小さな草にも、苔にも等しく水分を与えてくれる慈しめの雨であると。したがってこの世にある大きな木、小さな木、草、苔、みんなそれぞれ等しく生きている。大きな木は大きな木として生き、小さな木は小さな木として生き、草は草として生き、そして苔は苔として生きている。』
これが仏様の世界ですよと説いておられます。
今皆様がお集りになっているこの場所を例にしますと、ここにいらっしゃる皆様それぞれがそれぞれに生きています。そして、それぞれがそれぞれに自由です。別の言い方をしますと観音様の御慈悲を頂いているということになります。
我々はこの法華経の教えを元にして今風に言いますと、いろいろな人が様々な考えを持って生きている。いわゆる多様性の中にいる。この多様性の世界を仏様が認めているということです。

最近テレビで尖閣諸島、竹島問題が取り上げられています。
日本政府もようやく毅然とした態度を取ろうとしているところですが、これをどう受け取ったらいいのか私なりに考えました。 それぞれの国にはそれぞれの国の正義があります。だけれども一方の国が一方の国の正義を押さえて物事を進めようとするとこれは軋轢(あつれき)を生みます。
我が国を例にしますと、我々は我々の主張はしなければならないのに、主張をしないでいると見て見ぬふりをするということになってしまいます。
今の世の中、見て見ぬふりをする行為が横行しています。

電車の中でも街の中でも教育問題でも。一言誰かが注意してあげたらそんなことにはならなかったのではということが多々ございます。
さらに自分が関わってとばっちりを受けるのは嫌だと見て見ぬふりをしてしまい、その間に犯罪が起きてしまう。という事もあります。

日本が日本の主張をするように中国・韓国もそれぞれの主張をします。
その中で意見の違いをはっきりさせていき、改めて話し合いをしていくという方法にしていく必要があると思います。
ただ見て見ぬふりをして黙っていると、一方の主張の通りに事が運びそこに悲劇が生まれるのではないかと思います。

元々、中国も韓国も日本も仏様の国です。
どの国の観音様も等しく、どこの国の観音様が偉いということはありません。その同じ観音様のもとで我々は拝み生きているのです。ですから本来分からないはずはないのです。仏様の前で分かってもらえるはずです。ですが分かってもらうためには我々が見て見ぬふりをしていると問題をかえって大きくしてしまうのではないかなと思いました。

最初に申し上げたように、我々には観音様の慈悲のお心がみんなにそれぞれ等しく注がれている、その世界を仏教では法界と言います。
いつも最初と最後に、一心頂礼十方法界常住三宝(いっしんちょうらいじっぽうほうかいじょうじゅうさんぽう)とお唱えしています。
一心頂礼十方法界の法界が仏様の慈悲が注がれる世界と考えていただければ、我々は等しく、韓国の人も中国の人もみんな仏様の慈悲を受けているのだという事が分かると思います。
そして同時に、我々はやはり見て見ぬふりをすると問題が起きてしまうので、それぞれの多様性を認め合い、それぞれの主張をはっきりさせるのも大事だと思います。

以上で今月の法要を終わりにさせて頂きます。