『仏様を信じる心』
今日皆さんと一緒にお唱えしましたお経は妙法蓮華経如来寿量品偈(みょうほうれんげきょうにょらいじゅりょうほんげ)というお経になります。妙法蓮華経は全部で28巻ありますが、16巻目であるこの妙法蓮華経如来寿量品に妙法蓮華経の神髄が入っております。
一字一句ご説明すると今日一日では間に合いませんのでかいつまんでお話しますと、お釈迦様は今から2500年前にこの世にお生まれになりました。そして、81歳か83歳で亡くなったと言われております。その後お釈迦様のお骨である仏舎利は、世界のあちらこちらに分骨されました。
今はインドのデリー博物館に仏舎利が展示されておりまが、インドはヒンドゥー教の国ですから仏舎利といえども特別扱いはしておりません。実際に見る事も出来、ただ単に展示してあるだけです。
ですから本来ならば、この世に生まれて80歳頃に亡くなられたというのが現実の話になります。しかしお経の世界では、お釈迦様が亡くなられたのは我々の目を覚まさせる為に、自分の死をもって我々を諭しているのだというのが、この妙法蓮華経如来寿量品の中に書いてあるのです。我々人間は仏様がいつでも見守っていてくれているとついつい安心して、お釈迦様の事を忘れてしまうのが人情です。これは今の平和な日本の中で暮らしていると、平和な暮らしが出来ているという気持ちを忘れてしまう事と同じです。
そこでお釈迦様は『なんでお釈迦様は亡くなってしまったんだろう。』『なんで我々を残して死んでしまったんだろう。』というような想いを人々にひき起こすために亡くなられました。
さらに、お釈迦様が亡くなられて、100年、1000年、2500年経ったそれぞれの時代を生きる人達に、『もし今お釈迦様が生きていてくれたら。』『今もしお釈迦様が生きていてくれたら我々をこのように導いてくれるだろう。』という、お釈迦様を渇仰する気持ちを我々に起こさせる為に亡くなったという事を書いてあります。
我々はついつい、幸せに暮らしているとその幸せに気がつかなくなります。そんな時に改めて今自分は本当に幸せだろうか、今自分が一番安心出来るものはなんだろうか。そして今一番ほっと出来るものはなんだろうかと考えてみてください。そんな事を突き詰めて考えていくと、それは、実は仏様の教えの中にあるという事が自然に見えてくると思います。
仏様の教えは我々に安心を与えてくださいます。しかしそれは、我々が仏様を信じる気持ちを持って、その教えに向かわなければ得る事はできません。
ただただ観音様を信じる事が、仏様の教えを理解する一番大切な事なんだよという事も、妙法蓮華経如来寿量品の中に書かれています。
今お話した事を心に置いて皆さんもこれからも一緒にお経をお唱えして頂ければと思います。
まだとても寒い日が続いておりますが、次回3月23日の月例際では春を目前にもう少しで桜も咲く暖かい季節になってきていると思います。またお元気な姿の皆様にお会い出来るのを楽しみにしております。
以上で2月の法要を終わりにさせていただきます。
ありがとうございました。