7月の法話
当たり前にこそ感謝を。--------------------------------

仏教がインドから日本に伝わったのが538年と言われていますが、言う迄もなく日本にはその前から八百万(やおよろず)の神様がいらしたわけで、その神様と仏様が一体化しました。
また、大きな木や川、山など色々な物に神様が宿っていると考えてきたように、日本の昔からの信仰というのは自然とも一体化しております。

仏教ではお釈迦様が亡くなった最初の頃、仏像という姿がありませんでした。
それが、お釈迦様を渇仰する気持ちから、最初は仏足石(ぶっそくせき)という仏様の足の形が生まれ、それが発展していく事でお釈迦様のお姿が出来てきました。
しかしながら、お釈迦様は久遠実成(くおんじつじょう)という事でずっと昔から仏であり、本来そのお姿は目で見る事は出来ません。

そのように、本来目に見えない物も我々の拝みたいという気持ちの為に形が作られていき、あらゆる物に神様を見ていくようになるのですね。
今我々の正面におられる敬老観音様も同様に、これは我々がお姿を見る事を欲しているから、我々を導き救う為に目の前に仮の姿として現れてくれているのです。

目に見えない物を信じるという事は難しいので、何もない所では例えばどこを向いて手を合わせれば良いかなども考えてしまいます。
そこで、観音様のように仮のお姿として信仰してきたのですね。

だけども、先ほども申しましたように、本来仏様や神様の力は目に見えません。ですが、実は知らず知らずの内に影響を受けているのです。
そこに気がつくと『あー良かったな』『ありがたかったな』という感謝の念が生まれてくるのですね。

病気になった時に初めて健康だった時を有り難く思うように、経験してみないと常日頃の有り難さが分からない事もあります。
でも、経験しなくても念ずる事で分かる事もあります。
例えば、病気にならずともその辛さを念じる事で今の健康を感謝出来ます。
そのように念ずる事が神様を感じる元になると思います。

今足腰が痛い方は、痛い数カ所を『痛い、痛い』というのだけではなく、それ以外のより多くの健康に働いてくれているところに感謝をするような気持ちを持ってみてください。

そのような感謝の気持ちを常に持つ事で、目に見えずとも仏様や神様を感じるようになっていけると思います。

以上で7月の法要を終わりにさせて頂きます。