2024年 5月の法話

『一人一人の祈り』

令和六年の春の大祭にお集まり頂きまして誠に有難うございます。今日の観音様は真っ白に輝いておられます。

初めに、本日行いました法要につきまして少し解説させていただきます。
最初に「着座讃」とあります。今日の法要にあたりいろいろな諸仏にお集まり頂き、特に金剛薩埵という仏様がこの法要に対して力を貸してくださったということが書いてあります。
次は表白で今日の法要の趣旨を敬老観音様に申し上げたわけでございます。
そして五大願というものがございます。この五大願というものが、我々にとっては非常に大切なものになります。

1. 「衆生無辺誓願度(しゅじょうむへんせいがんど)」全ての人を救うことを成安いたします。
2.「煩悩無量誓願断(ぼんのうむりょうせいがんだん)」全部を学びます。
3.「法門無尽誓願智(ほうもんむじんせいがんち)」修行は尽きることはないけれど全て学びます。
4.「仏道無上誓願成(ぶつどうむじょうせいがんじょう)」仏様がなさろうとする人々を救うことを全部我々もお手伝いします。
5.「菩提無上誓願証(ぼだいむじょうせいがんしょう)」悟りの道は遠くても必ず実行いたします。最後がこのお経を守る全ての人の大きな願いを叶えますという意味です。この五大願というものが仏教の大きな願い事になります。

その願い事をした後、九條錫杖(くじょうしゃくじょう)とございます。これは過去のいろんな仏様に対し錫杖を持って、過去の仏様も今の仏様も未来の仏様も錫杖を振ってそして供養三宝(仏・法・僧)を必ずいたします、と誓いの言葉になるのです。これでお願いをした後にちゃんと供養いたしますということを実施するわけです。

先ほど会長様のお話の中でもございましたように、世界で戦争紛争がなかなか停戦の目処が立たず、いつ終わるのか分からず、一般の人々がどんどん困っております。果たしてどこの国がどうやってこの二つの争いを停めさせることができるのでしょうか。アメリカでしょうか。ロシアでしょうか。どこもできないと思います。

では我々がただ手を拱いて見ているだけ、嘆いているだけでいいのでしょうか。そこで思い出すのが、今から四十一年前。時のローマ法王ヨハネパウロ六世が当時、世界の宗教者をローマに招聘してせめて宗教者同氏は争うことのないようにそして平和のために心を一つにして祈りましょうと世界平和の祈りを提言されました。それに呼応してイスラム教、仏教、ヒンズー教、あらゆる宗教が賛同して毎年世界の宗教者が平和の祈りというものを開催しております。その第二回の開催が我が日本国でございました。日本の会場となったのはどこからも文句のでない、比叡山山頂で行いました。その時に日本の宗教者の面々もローマ法王ばかりに任させてはおけない、我々もやろうじゃないか!ということで翌年から日本では毎年八月四日に比叡山山頂で日本の宗教者を集めて、海外からも招聘して平和の祈りを続けてきております。
その中でよく言われますのは我々の祈る力があまりにも小さい。小さいけれども一人一人の祈る力が声となり、形となれば平和は訪れるということを目標としております。従いまして一人一人の力は微々たるものかもしれない。しかしながらその微々たる力が集まって太くなれば、次第にその力は発揮される。こう信じることが平和を祈ることに繋がるのではないかと思います。
我々は平和を祈る・戦争が無くなることを祈る・犠牲者のために祈る、そういった気持ちを持って生きることが大事なのではないか、それがないといつまで経っても戦争や紛争は無くなりません。

最後になりますが、我々先輩たちは第一次世界大戦、第二次世界大戦と大きな戦争を経験しています。そして今日の敬老観音様も、もう戦争はせず平和な国になるのだと我々日本人も一度は心に決めております。その気持ちをやはりもう一度思い起こして、そして一人一人の力は弱くても我々がそういう気持ちを表すこと、また仏様に祈ること、これがいずれは大きな世界大戦が来ないようにするもとになるのではないかなと思います。

今日は春の大祭におきまして、なかなか解決のできない難しい問題ではございますが、皆様に祈ることだけは忘れない、祈ることだけは一生懸命努めましょうとお願いをさせて頂きまして、春の大祭の法要を終わりにさせていただきます。