2024年 2月の法話

『成仏とは』

今、私はずっと考えていることがあります。それは我々が亡くなった後、成仏する、または仏様になるということをよく言います。何故仏様になるのか、今それを上手く説明できるように考えているところです。

例えを変えますと、キリスト教の場合は簡単です。成仏するという言い方ではなく、亡くなった後天国に行けます。では何故キリスト教の場合は天国に行けるのかと言いますと、産まれた時に洗礼というものを受けます。この洗礼を受けるからキリスト教徒になれるのです。そのため天国に行けるのはキリスト教徒だけという考え方になるのです。

一方日本の場合はどうなのでしょうか。信ずるものは救われるという言葉がありまして、死んだら仏様になれるのだと信じればそれで良いという人もいます。また仏様になるのではなくて、極楽に行けるんだよという考え方の人もいるわけです。一般的には日本では成仏するということになっていますので、皆さん、安心してくださいね。

何故このような考え方になったかと思うのです。江戸時代、日本はキリスト教が禁止でした。ですからその時に日本の人々はそれぞれのお寺に属しなさい、檀家になりなさい、と幕府の方針で決まりました。全員がお寺の檀家になったのです。従ってお寺の檀家になったということは、皆仏教徒になったということになります。仏教徒だから目指すところは成仏、これが目標となるのです。 江戸時代の前、例えば平安時代や奈良時代はどうでしょう。

その頃は仏様に簡単にはなれないというのがその当時の人々の考え方でした。何故仏様に誰でもなれないのか、仏様になるためには一生懸命修行して、努力して精進して学問をして、それで悟りを開かないと仏様になれないという考え方でした。では仏様になれないならどうなるかというと、輪廻転生の考え方でした。どう生まれ変わるかというと6つの世界があります。

一番良いのは、天の世界、人間の世界、修羅の世界、畜生の世界、餓鬼の世界、地獄があります。この6つの世界が、前世の行いによって生まれ変わり先が決まるのです。良いことをすれば天国や人間に生まれ変わる。いじめたりすると畜生の世界に落ちる。喧嘩別れなどをすると修羅世界。悪いことをすれば地獄に落ちると。行った先での行い次第で、また次は良いところにいけるかもしれない。これを永遠に繰り返すのが輪廻転生です。生き物は全て輪廻転生するのだ、仏様にはなれないという考え方です。

そこでこの考え方はどうなのか、皆そんなことになったら仏様になれる人がいなくなってしまうのではないかと調べてみたら、お釈迦様はそんなことは言っていないと分かりました。誰でも仏様になれるという言葉がお経の中に出てきたのです。そのお経が法華経です。法華経の中に誰でも成仏できるという言葉が出てきます。

「草木国土 悉皆成仏」これは違う言い方をすれば「生きとし生きるもの」は皆仏になるという言葉が法華経の中に出てきます。それで法華経を中心に誰でも仏様になれるという考え方が広まるまでにいろんな人が一生懸命努力をしてきました。皆様ご存じの親鸞聖人や日蓮聖人など、そういう方々が皆誰でも仏になれるということを広めてくれたおかげで、この考え方がようやく日本に定着してきました。そして江戸時代に入ったら皆が仏教徒になったために、誰も疑いもなく仏様になれるのだと日本に広がっていったわけです。

明治時代では神仏分離という考え方や、キリスト教は許され、信仰の自由ができました。多くの日本人は自然に死んだら成仏する、仏様になれるという考え方を持ってきたわけです。そこが日本の信仰の非常に緩やかなところでもあります。こうしたら成仏できますよ、とはっきりは言っていませんが皆そんな深く追求しなくても安心できるという側面がございます。これが日本の成仏という考えです。あくまで私の考え方ですが、誰でも仏様になれるというお話を、キリスト教を例えとしてお話させていただきました。

最後になりますが、キリスト教ではキリスト教になるために洗礼というものがあります。同じく仏教でも洗礼と同じことをやっています。それは授戒というものです。どこでやっているのかというと、お葬式の時にやっています。お葬式が授戒の場です。亡くなった後に授戒を受けて戒名を授かり、戒名は授戒した証拠でもあるため必ず成仏できるのだということになります。

以上を持ちまして、2月の法要を終わりにさせていただきます。