2019年 2月の法話

『お釈迦様の方便』

 2月15日はお釈迦様が亡くなられた日です。83歳で亡くなったと言われております。今から2600年前のことですから、お釈迦様は長生きされました。
お釈迦様は亡くなる時、弟子達に、「これから私は死んでしまうが、その死を嘆かず、泣くでない。嘆き悲しむ時間があるのなら私の教えを1人でも多くの人に伝えてほしい。」と言いました。しかし、お釈迦様が亡くなられると、弟子達は嘆き悲しみました。
お釈迦様が亡くなられる時の絵を涅槃図(ねはんず)と言い、よくお寺などに飾ってあります。その絵には、お釈迦様の周りに弟子やいろいろな生き物が死を嘆き悲しむ様子が描かれております。
お釈迦様は、自分の遺体は火葬して聖なるガンジス川に全て流しなさいと言われたのですが、弟子達はそれができませんでした。インド中いろいろな所にお骨を分け、仏舎利塔を建てて供養しました。
 さて、本日お唱えしたのは法華経の中の「観音経」と「寿量品(じゅうりょうほん)」です。
そこで、寿量品に書かれていることを簡単に説明します。
お釈迦さまは人間としてこの世に生を受け、修行をし仏となり、涅槃しました。とみんな思っているけれど、これは実は方便なのです。人間は自分の目で見たものでないとなかなか信じることができません。なので、お釈迦様は人間として生まれて亡くなるのを見せ、この世に仏はいるのだと信じさせました。けれども仏は人間として生まれる何億年も前から仏として存在していたのです。ということが如来寿量品には書かれております。
自分の目で見たものでないとなかなか信じることができない人間の弱さをどう克服するかというと、それは心を集中して仏様に向けること。そうすると目に見えない世界が見えてくるようになります。とはいっても、この境地になるのは大変難しいです。なので、目に見えない世界があるということを信じるのが第一歩となるので、そこから始めていきましょう。

以上で2月の月例祭の法話を終わりにさせていただきます。