『新しい仏教のはじまり』
来月8月18日は、比叡山を開かれた最澄上人(さいちょうしょうにん)伝教大師(でんぎょうだいし)さんのお誕生日で、今年でちょうど1250年目になります。
琵琶湖のほとりに生まれ、14歳の時に滋賀県にある国分寺の行表という和尚さんの弟子になりました。
15歳で奈良の東大寺へ行き修行をしました。そこで戒律をさずかり正式なお坊さんになり、3年間奈良で勉強をしたのですが、自分は他に目指すものがあるということで東大寺を後にしてしまいました。
これは罪人になってしまいますが、19歳で琵琶湖のほとりにある比叡山に1人で籠もり、12年間この山の中で修行をしようと考えての行動でした。
伝教大師さんのお籠りから少し経ったある頃、ちょうどその時代は都が奈良から京都に移った時代になりますが、その時の天皇である桓武天皇は、鬼門にあたる方向にある比叡山に東大寺を脱け出したお坊さんがいるという噂を聞き、それが真実か確認するため比叡山に向かいました。
そして本人に会って話を聞いたところ、なかなか見所があるやつだと認められました。比叡山はとても寒い所なので、桓武天皇は自分の袖を破り、寒いから修行中はこれを掛けなさいと首に掛けてくれました。
その後伝教大師さんは12年間の修行を無事終え、桓武天皇に都に来て仏教の話をするよう命令を受けました。その後は奈良でも仏教の話をするようになり、それらの功績が認められ朝廷に仕えるお坊さんになりました。そこでは、内供奉中漸禅師(ないぐぶじゅうぜんじ)の1人になりました。
その後さらに仏教の勉強する為に、遣唐使に同行し1年間中国へ行かれました。その時、船が3回中国へ行くのに失敗して4回目にやっと行けたのですが、4艘のうち2艘が沈没してしまいました。残った2艘のもう1艘には弘法大師空海さんが乗っていました。
その後、1年間中国で勉強をして帰ってきたのですが、比叡山にはお経が少ないものですから、日本中のお寺に行ってお経を貸してくださいとお願いにまわりました。そんな時に、群馬県の道忠さんという関東を束ねていた立派な方が、お経2000巻を馬の荷にして比叡山に届けてくださり、それにより伝教大師さんはさらに勉強を続ける事ができました。
伝教大師さんは56歳でお亡くなりになられましたが、なかなか厳しい亡くなられ方をしました。というのも伝教大師さんは比叡山で日本の仏教の新しい戒律というものを開きたかったのですが、それにより大変な苦労があったからです。
それまでの戒律は奈良の東大寺でしたが、よく言われるように非常に厳しいものでした。男のお坊さんで250の戒律、女性のお坊さんで500の戒律がありましたが、例えば男性のお坊さんが女性を見た時に素敵な女性だなと思うのは戒律違反です。同じように女性のお坊さんが素敵な男性だなと思うのも戒律違反です。実際こんな細かいところまで現実に守る事はできないのだから「もっと身近で守れる戒律を作ったほうがいい」というのが伝教大師さんの考え方でした。
だけども戒律を授けるところを戒壇(かいだん)は、当時日本には東大寺、薬師寺、観世音寺の3ヶ所のみでした。伝教大師さんは比叡山に新しい戒壇をつくりたいと思っていました。新しい戒律は、天皇は良いだろうと言ってくれたのですが、奈良のお寺さん方はそんな新しい信仰宗教みたいな戒律は許さないと反対しました。そこで明戒論(けんかいろん)というものを書き、これからはこういう新しい戒律が必要なのだと一所懸命伝えました。
それでもなかなか認めてもらえず最後臨終の時の言葉が、「澄久しく心形疲れたり」(心も身体も疲れた。という意味)と言い亡くなっていきました。
でも伝教大師さんが亡くなられてから初七日の日に、清和天皇が奈良の仏教界に対し、「いろいろあったけれども、あれだけ頑張って亡くなられ可哀想だから、戒壇を比叡山に認めてあげようじゃないか」と言った事で、比叡山に新しい戒壇が作られました。これが日本仏教の大きな幕開けです。今の仏教界では戒律のことはあまり口にしなくなりました。というのは、今のお坊さんはお酒も飲みますし、結婚もしますので昔の戒律のことは口にしなくなったのですね。
その後比叡山の戒律は、奈良仏教真言宗以外、比叡山の戒律を引き継いでいます。
比叡山の戒律の特長は、修行は自分のためにやるのではなく、人の役にたつようにしましょうという考え方です。これは伝教大師さんの言葉に換えますと「忘己利他」(もうこりた)言います。
この言葉通り、己を忘れて他を利するという考え方を根本にしましょうというものが比叡山の戒律になります。
そういうことで比叡山は1200年にわたって日本仏教の母山といわれています。
比叡山の仏教は法華経もありますし、南無阿弥陀仏、座禅、戒律もやりますが、一番の元は忘己利他です。
そんな伝教大師さんも非常に観音様を信仰されておりました。
以上で7月の月例祭の法要を終わりにさせて頂きます。