3月月例祭の法話
『生死一如』という言葉を考えてみる--------------------------------------

3月は、暦で言うと弥生という事になりまして、目の前にはもう桜が咲き始めております。
昔から、『花の命は短くて』という有名な言葉がありますが、季節はめぐりまた皆さんがお元気で桜の花に会えるという事は喜ばしい事であります。
『花の命は短くて』という言葉は『苦しきことのみ多かりき』という言葉がつづきますが、この世の中は本当に苦しい事ばかりなのかな? と思いますと、そうでもなさそうな気がします。 これは、やはり自然が人間を良く造ってくださったのではなかろうかと思います。
我々には、時間という大事なものがございまして、この時間が我々を随分楽にしてくれている分けです。

よく、『日にち薬』という言葉がございます。
これは、時間が経つとなんとなく苦しい事も辛い事も癒される。また、忘れていくという事でございまして、時間が経つというのは大事な事であります。
ですので、我々人間は長生きすればする程、色々な事を忘れられる分けであります。
生まれてからの苦しみを全部忘れられずにいると、人間はとても生きては行けません。
こうやって生きていられるというのは、時間が苦しい事を忘れさせてくれているからであります。

そして、我々は、なぜこの世に生を受けたのかと申しますと、仏様の世界では『生死一如』(しょうじいちにょ)という言葉がございます。
これは、生きる事も、死ぬ事も同じだ、という事です。
これはどういう事かというと、我々は最終的には仏様になる。成仏する。という事が我々のゴールインだという事になります。
ただ、そのゴールインまでには人それぞれの持って生まれた運命がありまして、中には100歳を超えるまで生きている方。
あるいは、生まれてすぐ亡くなるお子様がおります。
つまるところ、早く亡くなっても、遅く亡くなっても目指す所は仏様になる。
成仏する。という事であります。
ですから、生きている間が長くて100年。また、亡くなってから仏様になるまでの間は幾つか考え方がございますが、一つの考え方として、三十三回忌が終わる迄という考え方もございます。
そうすると、100と33を足すと133年。これでゴールインする(仏様になれる)というのが最長の人です。 逆に早く亡くなられた人にとっては、亡くなった年から33年ですので早くゴールインする(仏様になれる)という事です。
これは、長生きしても、早くなくなってもどちらが得かという事はございません。
その人の運命という事です。

話は変わりまして、本日はちょうどお彼岸ですから申し上げますが、日本人は昔、亡くなられた方がいると着る喪服は真っ白でした。
これがいつ頃から黒くなっていったかと言いますと、ある人の説によると、日本の初代総理大臣である伊藤博文が朝鮮で暗殺されて日本でお葬式を行う際に、『紋付袴はいかん、全て黒で来るように』というお達しがあったそうです。
それが日本の喪服が黒になった始まりだと一説では言われております。
今は喪服というのは真っ黒いものを皆さん着ていますが、ところがこの喪服はネクタイを黒から白に変えると礼服ですね。
結婚式になってしまいます。
日本人は機転が利くと言いますか、仏も祝いも一つの服で済ます事が出来るという器用な人間になっております。
それでやはり、器用さと言うか融通を利かす日本人の考え方というのが、日本の国を作っておりましたので、これが日本の国は神様と仏様が喧嘩をしないで仲良くずっとやってこれているというのにも表れているかと思います。

今日はお彼岸の最後の日になりますけども、こういった日に我々はご先祖様をお詣りするという風習がある分けですが、ご先祖様を大切にするという事が、我々の心を大事にする事につながります。
我々は『生死一如』の考え方で生きていますので、我々もご先祖様も同じ線上で一本線でつながっているんだな。という事をしみじみとこのお彼岸で考えさせて頂きました。

我々はなぜ生まれたか?  これは仏様になる為。
それには人によっては生きている時間にちょっと違いはありますが、みんな同じ。
ですから、生きている間は姿が見えますが、亡くなったら姿は見えないという違いだけです。 という事をお話させて頂いて3月の法話を終了させて頂きます。