みんないずれは仏様
この間の大雨による常総市を中心とする被災された方々に心よりお見舞いを申し上げます。
我々はいつ災害に遭うか分かりません。東京直下型の地震、東海大地震、南海大地震など地震のことがよく言われていますが、昨今は地震に限らず大雨、集中豪雨、竜巻とたくさんの自然災害があります。また自然災害のみならず、我が国はおだやかで平和に暮らしておりますが、一度目を国外にやりますと、シリアの難民問題やあちらこちらで起こる紛争などたくさんの問題があります。
ここにお集りの皆様は今、観音様にお経をお唱して本当に晴れ晴れとしたお顔をされておりますが、それぞれ自分の家に帰りますと、大なり小なりいろいろな悩み、問題を抱えているかもしれません。自分の身体のこと、病気のこと、いろいろ考えていきますと本当に我々は心安らかに日々暮らしていけるのか心配になります。その我々の心配している様子を見て、「なにをそんなにくよくよしているのか、なにをそんなに心配しているのか。私を見なさい」と観音様は言われております。
観音様は我々一人一人を見てくれています。皆様もご存知のように観音様の中には千の手と千の眼を持っておられる千手千眼観世音菩薩という観音様がおります。それであまねく一人も落ちこぼれがないように我々を見守ってくれています。観音様が自分を見守って、見つめてくれているのだと心の底から思える時にようやく、我々に本当の意味での心の平安、安らかさが参ります。
我々は一人一人顔が違う仏様です。我々の心の中には仏様の部分を持ちながら、鬼の部分も持っております。この鬼の部分を少なくして仏様の部分を多くする。これが我々の生きている証につながっていくのです。我々もいずれはご先祖様になり、ご先祖様が仏様になるのです。この仏様になる為に今の人生があるのです。
今回の法要は今から一千年前、比叡山の恵心僧都(「えしんそうず」往生要集という日本のお念仏の元となる本を作った方)が作られた二十五三昧会(にじゅうござんまいえ)の一部となります。ここでは仏様を褒め称え、この世の中の全ての生きとし生けるものも褒め称えることによって、より自分の命が終わる時に極楽往生の願いが叶い、阿弥陀様と共に仏の道をなしとげましょう。ということを言われております。
我々は、観音様を大事にし拝む事によって気持ちが広がり、広がった
気持ちが次第に仏様の世界になっていく。そしてその中にいる我々自身がまた仏様になっていくというように解釈してもあらえるとありがたいです。
今日は秋晴れの中、真っ白な観音様の前で皆さまと共に法要ができましたこと、本当に心より感謝申しあげます。
以上で秋の大祭の法要とさせていただきます。