7月の法話
『自分の考えが正しい。というのを忘れましょう。』

室内はエアコンが効いていて快適ですが、外は暑そうですね。
我々は特に快適な場所にいると、どうしても自分を中心に物事を考えがちで周りの様子が分かりづらくなります。
しかし、世の中自分一人ではございません。
かならず関係者や相手がおり、自分の考えだけで物事を進めようとするとどうしてもうまく行かない事も出て来てしまいます。
得てして我々人間は自分の思ったとおりに事が進まないと、面白くなくなり、不満が溜まってきます。
そして自分の考えに従わない人や、反対の意見が出てくるとそちらの考えは正しくない、正しいのは自分だと思ってしまいがちです。
これが自分中心という事のよくある悪い例ですが、このように自分中心でやってしまうと物事がうまく進んで行かない事が多々あります。

世の中には自分の考え、周りの人の考えと色々な考えがあります。
これを仏教の分かりやすい言葉で言うと、お釈迦さまがお生まれになってすぐ7歩歩いた後、「天上天下 唯我独尊」(てんじょうてんが ゆいがどくそん)と仰言ったという言い伝えがございます。
直訳するとこの世の中に仏とは我ただ1人という意味になります。
この意味を解釈すると、今私が話しをしているこの場に皆様が合わせて十数人いて私を見ているわけですが、この中で誰が一番価値があり、優秀であるかの比較は出来ません。
それぞれがそれぞれの立場において価値、意味があるからです。
ですから、これをある意味では平等、別の言い方をすると多様化ともいえます。
大事なのは自分が正しくて自分以外は間違っているという考えに陥らないようにすることなのです。
自分の考えはこうだけど、相手の考えはどうなのだろうと、聞く耳を持つ事が大事なのです。しかし、今の世の中にはそれが少々かけている気がいたします。

最近のニュースで、大津市の教育委員会のいじめ問題があります。
こちらも、どちらの言い分が正しいのかではなく、起きてしまった結果を今後どうしたら良い方に持っていけるか、という観点で物事を考えていける世の中が必要だと感じました。
それには自分の立場ばかり主張するのではなく、まず相手を認め、そして仲良くやっていこうというところが大事なのではないでしょうか。

それを仏教の教えに関連して申しますと、我々は己をいかに押さえてそして他をいかに認めていけるかというのが大事なのはないでしょうか。
「己を忘れて他を利するは慈悲の極みあり」という昔からの教えがございますので、やはり慈悲の極みがあれば良くない結果はうまれないはずなのです。
ですが、やはりどこかで我々は己を大切にして他を忘れてしまうことがあるのでしょう。

昔の言葉で「門前の小僧、習わぬ経を読む」という言葉がございます。
これは環境に慣れることが大事ということです。お経に限らず
昔の中国の教えに「孟母三遷」(もうぼさんせん)という言葉もあります。
これは孟子のお母さんが孟子を学問する環境にするため3度引っ越しをしたというところから来ています。
これらの言葉にもあるように、我々は周りの環境を整えるというのが大事なことになります。

我々の考える環境とは、観音様を中心とした環境のことです。
そこに我が身を置くことで自然と己を主張するのではなく、己を忘れる方向になれるのではないかなと思います。

以上で今月の法要を終わりにさせて頂きます。