2022年 11月の法話
『お経を理解すること』前回、お経を大切にすること・お経をお唱えすることが非常に我々にとって行になるということをお話しました。前回は読誦までお話をしましたのでその次の解説(げせつ)について本日はお話をしたいと思います。
解説は一言で言えばお経を理解するということです。お経を理解することの一番の早道はお経を読むことですが、ただお経を読んだだけでは分からない。しかし辞書を引いて一生懸命理解しようとしてもこれも大変な作行です。
世の中には本屋さんへ行けば、お経について解説した本がたくさん出ています。これを読むと段々と理解することができます。
ただ我々はお経を理解することについて、頭の中だけで理解する方法もあれば体で理解するという方法もあります。
今の時代このような話は難しいのですが、私が比叡山へ修行に入った時、本堂に入る際、右足で入るか左足で入るか決まりがあるのです。この時は右、この時は左。ところが忙しいものですからついついあまり考えず、ぱっと入ってしまいます。そうすると入り口に見張りがいまして、間違えると頭を棒で叩かれるですが、この時に間違えたと気づきます。これが昔で言う、体で覚えるということを経験しました。
体で覚える一番の形態というのが厳しい修行です。厳しい修行はまず自分の頭の中を空にします。我を無くさないと修行がうまく続けられないのです。自分の頭を無にすると素直に行を続けることができます。その行を続けることによって理解していくことがあるわけです。
つまり雑念は駄目だ、欲はあってはならないということを段々と体で分かってくる。これが体で理解するという方法なのです。よく職人さんの世界では体得(体で覚える)ということを言っていましたが、これと同じです。
それと同時にお経の本に頼って理解するということも大切です。例えば観音経の中で「念念勿生疑(ねんねんもっしょうぎ) 」という言葉がります。心の中で疑いを生ずる事勿れという意味です。疑問が湧いた時に観音様は疑いを持っては駄目ですよ、と言っているのだと自分が分かった時に「念念勿生疑(ねんねんもっしょうぎ) 」という言葉と理解します。
お経の解説は体で覚えていくという方法と我々の心で理解していくという方法と2つあります。これはどちらが大事ということはなく、バランスを取りながら、まずはお経を大切に思う。1つ目の受持すること。次は読誦(お経をお唱えすること。)3番目に解説、お経を理解することに繋がっていきます。
今日はお経の3番目、理解すると言う方法について体で覚える方法と心で覚える方法についてお話させて頂きました。
以上を持ちまして、11月の法要を終わりにさせていただきます。