2017年花祭りの法話
『仏様と魂』 今からおよそ2560年前にお釈迦様が誕生されました。
いつも皆様と読経しています中に、自我偈(じがげ)というお経があります。寿量品偈(じゅりょうほんげ)と書いてあるお経です。この中には、お釈迦様がこの世にお生まれになったのは方便だと書いてあります。なにが方便か、それは仏様が2560年前に人間としてお生まれになる遥か昔から仏様だったということです。
ではなぜ遥か昔から仏様だったのに、わざわざ人間として生まれてきたのか。それは我々人間が天からの声は聞く事が出来ないからです。
だからこそ仏様はシッダールタという名前でこの世にお生まれになり、厳しい修行をして悟りを開かれ、我々と同じ言葉で喋って、仏様としてその教えを分かりやすく伝えてくれようとしたのです。
我々はみんな魂を持って生まれます。赤ちゃんの時魂はつるつるの丸で純真です。ですが大人になる過程で色々な知恵を身につけ、覚えたりして様々なものが着いて魂は大きくなります。いざ寿命が尽きた時、大きくなった魂の皮がだんだん剥がれ、純真なものに戻ります。その純真なものが仏様です。
この純真とは、例えば目の前で困っている人がいたら助けてあげたい。泣いている子供がいたらどうしたのかなと心配する。そのような慈悲の心が純真な魂の姿です。よって赤ちゃんの時は汚れてないので慈悲のままなのです。寿命が尽きた時魂は元の姿に戻る訳ですが、この元の姿は実はみんな同じです。このような事が我々のいつも読んでいる寿量品偈というお経の中に書かれています。だから、お経を読むと自然に仏様の説いていられる方便が身についているのです。
そしてもう一つお話させていただくと、仏様のお姿を見ると、右の手で天を指し、左の手で地を指しています。【天上天下唯我独尊】これの意味する事は、あなたの命も大事ですよ、そして私の命も大事です。みんなそれぞれ持っている命は平等に大事ですよという事を伝えております。昔旅客機がハイジャックされた時に、当時の総理大臣が「1人の生命は地球より重い」という事を言われましたが、そのように1人1人の命に差はなく、みんな等しく大切だという事をこの仏様のお姿が象徴しているとお考えいただきたいと思います。
この世に生まれるもの全てが素晴らしいという事をお話させていただいて、以上で花祭りの法要を終わりにさせていただきます。
今日はどうもありがとうございました。