2016年 6月の法話

『神は細部に宿る』

梅雨の中の雨ですが、先日6月10日は恵心僧都(えしんそうず)という方の祥月命日(しょうつきめいにち)でした。その為比叡山に法要へ行って来たのですが、そこでふと我々が身近に仏教を感じられるのは一対どういう時かなと考えてみました。
そこで思い出したのが「神は細部に宿る」という言葉です。例えば皆さんが今一緒にお経をお唱えしましたが、そのお唱えし終わった時に、ほっとするとか、今月もお唱え出来てよかったなど色々な想いが湧き出ると思います。その湧き出る気持ちが仏様に通じる気持ちではないかなと思います。違う言い方をすると、茶柱が立った瞬間に「おっ!いい事があるかもしれないぞ」と思った正にそこに仏様がおられます。他にも食事の時に好物が出てきた「おっこれは嬉しい」と思った瞬間に仏様がおられるのです。その様に考えていきますと、神は細部に宿るという言葉の意味が少し分かる様な気がします。そのように、これまでは偶然とかたまたまと感じていた身近なちょっとした嬉しい出来事にも仏様の存在を感じるようにしていくと、我々はそれだけ気持ちが安心し仏様に近づける気が致します。
ですから、今日も無事に月例祭が行えました事に感謝の気持ちを持って法要を終わりにしたいと思います。
本日はありがとうございました。