『祈るという仏の道』
今日は、かんかん照りではなくいいお天気に恵まれました。私は髪の毛がない分頭が日焼けしやすいのでこれくらいの天気で丁度良かったです。
本日は、目の前の観音様にそれぞれが、それぞれの想いでお祈りをしているかと思います。例えば「どこそこが痛いから治ってほしい」とか、「あの心配事がどうにかならないかな」など色々なお願い事があるかと思います。その反対に観音様は観音様としてやはり大きな祈りを持っておられます。それは言う迄もなく全ての皆様が幸せになれるように。これが観音様の祈りです。どちらも確かに祈りでございます。ただ、我々凡人の祈りと観音様の祈りには大きな隔たりがあります。観音様は全ての人を救おうと願います。我々はどうしても自分の救いを願います。しかしながら、今の世の中どうでしょう。自分1人が幸せになれれば本当にそれで満足出来るのでしょうか。海外を見ると先進国もあれば発展途上国もあります。発展途上国に参りますと本当の貧困というものを目の当たりにします。その貧困の方達を目の前にして自分の幸せを喜べるでしょうか。私どもの祖師は、「己を忘れて他を利するは慈悲の極みなり。」と申しております。自分の事はさておいて周りの人々の幸せを願うという事です。この後に歌う観音讃歌の中にも出て参りますが、この大慈大悲の願いこそ世の中を平和に幸せに導いていく為の大きな祈りであります。
今年は終戦70年でございます。皆様の右側に戦没者慰霊の石碑がございますが、戦没者の慰霊という事もこれから世界中の人々が幸せになれますようにと願いを込めて祈る事でもあります。このように、まず私どもが出来るのは祈る事が第一歩でございます。なかなか我々1人1人の祈りに力はございませんが、1人1人の力は弱くともそれが一つから二つ、二つから三つと広がっていけばだんだん強くなってまいります。そして我が国の幸せも、よその国の幸せも平等に願う事が、観音様の意にかなうのであります。それと同時にやはり自らも幸せにならなければなりません。その為にもお祈りをする。また人々の為にもお祈りをする。これが敢えて申し上げれば仏道という事になります。今日の敬老観音様35回目の春の大祭にあたりまして、また合わせて終戦70年を共にお考え頂きまして、やはりこれからは我々皆で幸せになろうと一つ決意をして頂きますよう最後にお願い申し上げます。
以上で本日の法要を終わりとさせて頂きます。本日は誠にありがとうございました。