2023年 9月の法話

『一つひとつの形』

秋の大祭にお参りいただき、ありがとうございます。観音様もとても喜んでおられると思います。
本日私がお唱えしたお経は十二礼と言いまして、12回本尊様に対して礼拝していくお経でございます。本日は半分にさせていただきました。

まず初めに「観音頂戴冠中住」とあります。これは観音様のお姿を見ていただければ分かるように、頭へ冠を乗せていますがその姿です。そして冠を乗せて今目の前におられる。

次に「種種妙相宝荘厳」と言いまして、観音様はいろんな姿を見せてくださいます。俗に言う、三十三観音、六観音あるいは百観音と言います。それだけ姿を変化させて我々の前に現れて、我々の周りを仏様の世界の様にしてくださいます。

「能伏外道魔驕慢」この外道というのは、今はこういう言い方をしてはいけませんが、人間ではない生き物を言います。魔は悪魔の魔、驕慢というのは傲りや慢心。そしてこれらを抑えつけてくださる能伏です。

「故我頂礼弥陀尊」故に私は阿弥陀様を頂戴いたします、という意味になります。
これを繰り返しやっていくわけなのですが、我々はやはり観音様をはじめ、本尊様へ手をあわす形、姿、格好というものが必要となります。

例えば神社に行きますと、神社の鳥居を潜って社殿の前にはお賽銭箱がどこでもありますね。それから鰐口といって鈴を鳴らす、紐も垂れています。
そこでどうやって神様を拝むかと言いますと、まず鈴(鰐口)を鳴らすことが第一なのです。これは何故かというと、神様に今これからお参りをしますよ、来ましたよ。という合図を聞いてもらいます。合図を聞いてもらった後は、いきなり二拍手ではなく、先にお賽銭にいくのです。まず自分の持っているものを神様に差し出す。差し出した後に二拍手二礼ということになります。そしてお参りが終わった後、最後に帰りますよ、とまた鈴を鳴らして失礼をするという形になります。多少場所によって違うこともありますが、概ね間違いありません。

それと同じように、例えば皆さんもお仏壇にお参りする時はまず、おりんを鳴らします。おりんを鳴らしてからこれからお参りしますよ、と合図をして、お燈明に火をつけてお線香を立て、そして手を合わせる。終わったら、終わりましたよという合図でおりんを鳴らします。
観音様の前に来た時は、観音様の前に立って手を合わせ南無観世音菩薩とお唱えして、三回礼拝をすれば良いということになります。
このように物事には形というものが必ず付いています。この形が出来上がるまでには、長い人々の歴史があります。今、急にできたわけではありません。

例えば、成人式。テレビ等で賑やかな姿が話題になっておりますが、中にはああいった儀式は必要ないという考えの方もいます。しかし儀式がどうやってできてきたかという人々の営みの歴史を考えますと、必然的に儀式が生まれてきているのです。

分かりやすく言いますと、家族が亡くなられて普通はお葬式を行います。しかし今、行わないケースが多くなっています。そうすると後が大変なのです。知り合いの方が時間を問わずぱらぱらとお線香をあげにお参りにくるため、家族の方も大変なのですが、お葬式をすれば1回で済む。そういったところがこの形通りの儀式の良さでもあるわけです。ですから我々は昔からの習慣はあながち不必要なものではなくて、かえって便利なものもあります。

ところが私共の所謂、伝統の世界になりますと儀式ばかりなのです。昔修行をしていた時に、本堂へ入る時に右足から入るか・左足から入るか決まりがあります。その法要によって違うのです。そして間違えると、いきなり頭をぽーんと叩かれるのです。痛い。そこで私は間違えたなと分かるので、今度は間違えないようにしようと気をつけます。こういった世界は今は通用しなくなりましたが、昔はよく職人は体で技術を覚えると言いました。それはこういうことなのですね。体で覚えないとなかなかそうはいかないのです。

これは仏様も同じです。体で覚えるには形というものを大事にする。形を備えてから、心が仏様と繋がっていく。ですから、こうして皆さんと一緒に大祭でお経を一緒にお唱えさせていただきましたが、こういった一つひとつの形が我々と観音様の結びつきになっていくのだということをお話しさせていただきました。

以上を持ちまして、9月の法要を終わりにさせていただきます。