2023年 11月の法話

『一番大事な3つのこと』

皆さんは自分のことを仏教徒と考えられていると思います。この宗教の違いというのは、例えば今はパレスチナの方で起きております。特にキリスト教徒の場合は産まれるとすぐに洗礼という儀式があり、赤ちゃんにキリスト教になるための儀式が行われます。ですからキリスト教の人は生まれながらキリスト教の信者になっています。自分が死んだら天国へ行くと決まっているわけです。 一方仏教の方ではどうかというと、実は仏教でもキリスト教の洗礼にあたるものがあり、授戒(じゅかい)という儀式があります。この戒律を授かると正式に仏教徒になります。しかし仏教では赤ちゃんに授戒をさせることはありません。10歳にならないと授戒ができないのです。自分の親が誰で、兄弟が誰で、とそういったことが理解できるようになってきてから授戒ができます。ここが大きな違いです。

しかし現実的に今日本では全員が授戒を受けているかというと、ほとんどの人が受けていません。何故でしょうか。

実は徳川時代にキリシタンを排拆した徳川幕府が日本国民は各寺の檀家になることに決めたわけですから、宗派は違ってもどこかのお寺に所属することになったため、必然的に仏教徒ということになりました。なので、改めて授戒をしなくても皆仏教徒だということになっていました。
ところが明治の時代になりますと廃仏毀釈という運動がありまして、仏様は駄目だ。神様を大事にしよう、という運動です。国民が全員仏教徒ということではなくなってきました。キリスト教も明治から許されたので入ってきましたし、そうなってくると本来であれば授戒ということをやっていかなければならなかったのですが、仏教の方では上手く進めることができなかったのかもしれません。それが今に至ります。

何故今回このお話をさせて頂いたかというと、実は仏教の戒律というのは奈良時代まで僧侶になるための戒律が中心だったのです。男性の僧侶で250の戒律、女性はその倍500の戒律がありました。これはとても守れないだろうと。そこで守れない戒律を受けても困るため、平安時代になりますと新しい戒律ができました。それは一般の人用の戒律なのです。どういう戒律か簡単に言いますと、「悪いことはしません。良いことは進んでします。人のために役に立ちます。」難しいことではないのですが、中々普及していきませんでした。しかし、誰でも考えてできることなのですね。ですからわざわざ戒律を受けなくても我々は自然に戒律を守っているのだということになってきたわけです。そのため日本ではあまり戒律のことはうるさく言いません。

皆さんもご存知の通り、我々僧侶もお肉もお酒も頂きますし結婚もしています。奈良時代の戒律を考えますととんでもない、東南アジアのお坊さんからみると日本のお坊さんは正式なお坊さんではない。戒律を守っていないということな ります。ところがその戒律が本当にお坊さんになるための戒律を守れるのかというと大変な努力が必要になります。
例えば簡単に言いますと、目の前にご馳走があったら「美味しそうだな。食べたいな。」と思ったら戒律違反なのです。思ったら、駄目なのです。お坊さんの食事というのは味わってはいけない。体を維持するだけに摂るもので、美味しそう言ってはいけない。食べ物を美味しそうだと思うことが戒律違反なのです。絶対守れないことなのです。守れないことですが、反省すればよい。しかし今も守っている東南アジアの仏教徒もいます。そういう仏教徒に対して、日本の仏教は少し違うのだなということが今の話でお分かりいただけるかなと思うのですが、どちらが良い悪いはありません。キリスト教でも同じです。

だたし、我々には一番大事なことは「悪いことはしない。良いことをする。人のために役に立つ。」この3つは仏教やキリスト教に限らず、やはり人類の基本的なことだと思うのです。ところが現実的には守られていない。最近の戦争もそうですが、我々人間は何て愚かなのだろうと思います。科学が発達しても心が発達しない、これはどこの国も同じです。そういった時でこそ、我々はやってはいけないこと、一生懸命やること、こういうことを色分けしてやっていかないと世の中がどんどん崩れていってしまうのではないかと思っています。

今年の月例際、あと1回ありますが来月は護摩供養をさせていただきます。今年の締めくくりには早いですが、その前に我々のやって良いこと、悪いことをしっかり分けていきましょうということをお話しさせていただきました。

以上を持ちまして、11月の法要を終わりにさせていただきます。