2018年 6月の法話の法話

『反省すること』

今日は懺悔文(さんげもん)についてお話します。
キリスト教では懺悔を「ざんげ」、仏教では「さんげ」と言います。
意味はどちらも自分の行いを反省するというような事です。
懺悔文の中からいくつかご説明いたします。まず始めに、
「我昔所造諸悪業(がしゃくしょぞうしょあくごう)」・・・我れ昔より造る所の諸の悪業は、

「皆由無始貪瞋痴(かいゆうむしとんじんち)」・・・みなむしの、とん・じん・ち、による、
貪瞋痴というのは、貪り・怒り・愚かさで、仏教では三毒と言います。これは最初から人間に備わっているもので、産まれたばかりの赤ちゃんにも備わっています。

「従身口意之所生(じゅうしんくいししょしょう)」・・・身体の行い、口の行い、心の行いから生まれたものです。

「一切我今皆懺悔(いっさいがこんかいさんげ)」・・・私は全てを反省いたします。

人間は全て生まれ変わっています。そして生まれ変わる際は、前世の行いによって来世が決まると言われています。その来世には6つの世界があり、これを六道といいます。地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上の6つです。
いつになったらこの輪廻から離脱できるのか、それは日本が平安時代のとき初めて、輪廻から離脱し仏の世界に行く事ができるという考え方に変わってきました。今ではほとんどの方が成仏できることになっています。ただし、貪瞋痴の三毒のまま、自分の行いをやりっぱなしでいたのでは仏様の国では生きづらいと言われています。
人間としても自分の行いを反省することがとても大切です。
日々の暮らしにも懺悔することが多くあると思います。例えばテレビを見ながら腹をたてる、歩いていてすれ違い様に肩がぶつかるなど。これらは元々持っている貪瞋痴(貪り・怒り・愚かさ)のせいです。物事を冷静に、客観的に見ることができない自分勝手さが人間にはあるので、生きている間に貪瞋痴を反省、懺悔することが必要です。
その為には、お経を読む前に必ず反省をし、懺悔文を読み、自分のよくなかった点を反省することを仏様に誓いをします。お経は仏様の教えなのだから、教えを頂きますという気持ちでお経を読むことが大切です。

今日は懺悔文についてお話をしたのですが、反省することは中々難しいことです。自分で失敗したと思ったときは反省することができるのですが、自分が気づかないうちに他人に迷惑をかけていたり、嫌な思いをさせていたりと失敗したことに気がつかない場合が多々あります。
だからせめて、仏様の教えを頂く前には心から反省をしましょうということで必ず懺悔文がお経の前に読まれるのです。

以上で6月の月例祭の法要を終わりにさせていただきます。