2017年 8月の法話
『気持ちを楽に』 先日、比叡山に12年間修行でお籠もりされていた方の体験記を聞いてきました。
どのような修行かといいますと、比叡山の中には、比叡山を開かれた最澄さんのお墓があるのですが、そのお墓を12年間お守りするという仕事を兼ねた修行です。お墓のある場所は比叡山の中でも特に聖域なので人が来るところではありません。ですから人と話をする機会もありません。そしてもちろん、テレビ、電話、新聞などもありませんので、とても孤独です。
この修行では、まず夜中の2時に起きてお堂の中を掃除します。その次にお膳を作ってお供えします。そしてお務めを2時間くらいし、朝食をとります。一汁一菜なのでおかゆと梅干しなどでしょう。朝食の後は、境内の掃除をします。葉っぱ1つないように清めなければいけませんので、比叡山の掃除地獄と言われております。境内の掃除の後はまたお務めをします。そしてお昼を用意してお供えし、自分はそのお供えした食事をいただきます。それからまたお務めをして、夜7時頃に眠ります。これを12年間たった1人で行います。時々仕事の関係で本山から訪ねて行く人や連絡係などもありますが、ほとんど人と口をきく事はありません。ですから、この修行をすると人が変わると言われております。
この修行を体験した高川慈照(たかがわじしょう)先生から話を聞いた事があるのですが、比叡山では一時期、暴走族が荒れ狂った時があったそうです。高川先生は自分が修行している最中にバイクの騒がしい音が聞こえてきて、修行の邪魔をしてなんてひどい人達なのだと思っていました。しかしある時、急に吹っ切れたそうです。バイクの音がしても、右の耳から入って、左の耳からすーっと出て行く感じがありました。その感じがした途端、バイクの音が全く気にならなくなり、それ以降暴走族の音がしても気にせず修行に打ち込むことができるようになったそうです。なぜそうなれたのかを私は聞きたかったのですが、その神髄を聞きそびれてしまいました。
我々は自分の気持ちの中にどこかで捉われているもの、気になるものがあると1つの事に集中しようとしても集中することができません。そのこだわりや気になる事がふっとなくなった時に集中することができるのでしょう。高川先生が暴走族の音が気にならなくなった時というのは、暴走族を止めることができないと諦めた時にすっと気にならなくなったのではないかなと私は想像しております。そのような修行体験を聞かせていただきまして、我々の日常生活にもありうる事だと思いました。例えば、我々が普段悩んだり考えたりしている時に、ふっと肩が楽になった経験はないですか?そういう時は心の中でその様な作用が起きているのではないかと思います。これは修行に関わらず人間の心はそういう事が出来るようになっているのでしょう。
ですから、常にその状態に持っていけるよう習慣をつけられるといいと思います。
その為に皆さんにお伝えしたいのは、1日3分、難しければ1分でもいいので静かに座り、呼吸を整えるために息を吐いて吸ってというのを10回繰り返してみてください。すると気持ちがすっと楽になります。この事が毎日続けられればずいぶん気持ちが楽にできるのではないかなと思います。是非、一度お試し下さい。
以上で8月の月例祭の法要を終わりにさせていただきます。