2018年 秋の大祭の法話

『自分の心の平安と人々の安寧や幸せ』

今の日本ですが、台風や大雨などの天候不順が重なり、北海道の大地震が起こり、たくさんの人が災害に遭われました。多くの人命も失われました。本日の法要はその意味合いも込め、阿弥陀様をご供養するお経にしました。
私たちが仏様をご供養する形の1つに、本尊様をお呼びして、本尊様にご供養を捧げるものがあります。本日のご供養は散華を行い、花びらをまかせてもらいました。その花びらは極楽浄土の花びらということになります。この場所が本当に仏様の世界になり、法要の趣旨を本尊様に申し上げます。
本日の法要で申し上げた中に、「表白(ひょうびゃく)」とあります。これは神様の祝詞みたいなものです。
つぎに「十二礼(じゅうにらい)」とあります。これは全てを読経すると長くなるので、2句だけで、それを話させてもらいます。

「観音頂戴冠中住(かんのうちょうだいかんちうじう)」・・・観音様を冠の中にいただいてその中におられる。そして仏様の様々な素晴らしい姿が宝のように周りを飾ってくださいます。

「能伏外道魔驕慢(のうぶくげどうまけうまん)」・・・悪魔や驕慢を防ぎ心から礼拝いたします。

次に、「以此礼讃仏功徳」とあります。仏を礼拝する功徳をもって、荘厳法界。すべての世の中。諸有情。衆生のことですね。もろもろ生きるもの。これを荘厳に飾って。
そして次に、臨終悉願往西方。臨終ののちはことごとく西方浄土にいく事を願って。
そして最後。共覩弥陀成仏道。阿弥陀様にまみえて仏道を完成して仏様になりますという意味です。
これで仏様に心持ちを伝え最後に念仏をお唱えしております。

世の中にはいろいろな宗教があります。それぞれがそれぞれの立場で信仰しております。また日本の中においても同じ仏教でも宗派などでいろいろあります。基本的に宗教が目指しているものは自分の心の平安と人々の安寧や幸せです。しかしながら我々の願いが度を超す時があります。それは自分だけの幸せを考えてしまう時です。度を超しますと、自分が得ようとしていたものが得られなくなります。欲が大きくなるほど手に入るものが少なくなります。
キリスト教の言葉に「神は細部に宿る」とあります。この言葉について私なりの解釈ですが、
誰しも日々の暮らしの中でささやかでも良かったなと感じることがあると思います。その気持ちの中におられるという事なのかなと私は思いました。そして、これを仏教で言うと、良かったなと感じることが、ありがたいという感謝の気持ちにつながるのかなと思いました。そして、また次の感謝につながるというのがうまく回っていき我々の心の安楽。世の中の平和が自ずから巡ってくるようになると私は解釈させていただきました。

本日は38回目の秋の大祭が行われました。
ここにある観音様を建立された、故渡辺酉蔵氏の意思。敬老思想の敷衍。
私は、感謝の気持ちは敬老思想に繋がっていくと思っております。

以上で秋の大祭の法要を終わりにさせていただきます。