2015年 10月の法話

「仏様に近づく方法」

今日お唱えしたお経「妙法蓮華経如来寿量品(みょうほうれんげきょうにょらいじゅりょうほん)」の第一句目に「自我得仏来(じがとくぶつらい)」とあります。これは「我悟りを得てよりこのかた」と訳します。意味は、お釈迦様が悟りを開かれた時からということです。

テレビのニュースで比叡山の荒行をやっていました。
比叡山で釜堀さんという行者さんが9日間、断食、断水、不眠、不臥で10万回不動真言を唱えるという行を無事満行しました。達成した行者さんは戦後13人目。この行を経験した方に聞くと8日目あたりから死臭が漂ってくるそうです。お医者様が言うには飲まず食わずで生きられて1週間と言いますので、それ以上したら死臭がしてきてもおかしくありません。
その厳しい行が終わった暁には生き仏になられます。
お釈迦様が仏になられ、釜堀さんも厳しい行が終わり仏になられた。これが「自我得仏来(じがとくぶつらい)」と一致するわけです。
お釈迦様は仏様になられてから自分の悟られた内容をたくさんの人に説き、そして仏様の教えをインド中に広めていきました。
一方、新しく仏様になられた釜堀さんはこれから自分のところへお参りに来られる方に自分の力をお分けすることになります。
このような厳しい修行をしないと仏様になれないとしたら、私も含めて自分たちは仏様になるのは無理だと思ってしまいます。けれども、我々は亡くなりますと仏様と呼ばれますから安心してくださいね。
山のお寺に行くと、例えば男坂と女坂がありますが、男坂は急な階段、女坂は緩やかな坂道、別々の道を行っても行き着くところは同じところ。というように、9日間の厳しい修行ができなくても、自分にあった方法で仏様に近づくことができます。例えば、これから行き逢う人、どんなに嫌いな人でも全ての人に笑顔で接してみてください。それを続けていくとあの人は仏様のようだと言われるようになります。笑顔だけでなく言葉、態度もそうです。そういう風に自分が決めた事を1つ継続していくと仏様に一歩一歩近づいていけます。気持ちの中で更に仏様に近づける方法もあります。それは信仰の信です。仏様も観音様も心の底から頼りにし、観音様を信じきっていくと自然と観音様と一体になれ、仏様に近づいていけます。
お経で「我仏を得てよりこのかた」とございますが、これは仏様だけの話ではなくて我々もそういう機会をみんな持っていて、それぞれの方法で出来るのです。
そんな事を、比叡山の荒行のニュースを見て是非皆さんにお伝えしたいと思いました。

以上で10月の月例祭りの法要を終わりにさせて頂きます。