2025年 11月の法話
『神仏は小さなところに宿る』やっぱり秋が来たようですね。木々も葉もきれいに色づき、寒さもそれほどではなく、ほっとしております。
ちょうど昨日のことになりますが、ご法要がありまして、お経を読み、お焼香も済み、「どうもご苦労様でした」と終わりになったところでした。その場にお越しになっていたお客様の中に、お一人、お焼香の前でぶつぶつとお唱えになっている方がおられました。
その方がお焼香を終えられたらお見送りしようと思ってそばにいたのですが、なかなか終わらず、やがて本尊様に礼をなされ、私の方を向いて姿勢を正し「いやあ、ご住職。私はお大師さんに会いましたよ」とおっしゃいました。
「どこでお会いになったのですか」と伺いましたところ、「自分は四国のお遍路を17回まわっていた。その途中で会えたのです。」と言われました。
その方は、お遍路に出られる前から便秘でとてもつらかったそうです。19日間まったく出なかったとのことです。それでもお遍路を続けていたところ、あるお寺の参拝を終えた瞬間、目の前にお大師さまのお姿が一瞬、光となって現れたといいます。その光に慌てて手を合わせたら、お腹がすっと軽くなり、便秘も治ったそうです。「便秘も治るのか」と、私もつい感心してしまいました。
そこで私も改めて考えました。昔から「神仏は小さなところに宿る」と言われていますが、若いころはあまりよく分かりませんでした。ところが最近になって、少しずつ理解できるようになってきた気がするのです。小さな出来事の中で「ああ、よかった。観音様のおかげだ」と思えるとき、その人の心に神仏が宿り、力を貸してくださるのだと、昨日のお話を聞いてしみじみ思いました。
自分自身を振り返ってみても、「あのとき、よく無事だったな」と思うことがあります。私は65年間、交通事故を一度も起こしていません。それは自分の運転が上手かったからということではなく、やはり神仏が見守り、助けてくださったのだと思っています。
助かったとき、よかったとき、おいしかったと感じたとき、そういった一つひとつの場面に、仏さまのお力がそっと添ってくださっている、と受け取っていただければ、「神仏が小さなところに宿る」という意味がお分かりいただけるのではないでしょうか。
そして神仏と申しますと、その数は本当にたくさんおられます。私たちはやがて成仏し、仏となる身です。仏となった後には、生きとし生けるものを導き、救う立場になるとされています。つまり私たちには、この先に「仏となり、小さなところで誰かを助ける」という役目が残されているのだと思っていただき、日々を大切に励んでいただければ幸いです。
以上を持ちまして、11月の法要を終わりにさせていただきます。







