2026年 2月の法話

『痛みの意味と、見えない苦しみ』

今日は暖かいですね。皆さんに少しご報告があります。
実は昨年の秋頃より坐骨神経痛を患い、足のしびれと痛みに悩まされておりました。半年ほど薬を服用し続けた結果、今年に入ってから徐々にしびれや痛みが薄れ、ほとんど感じなくなってまいりました。

やはり「痛い」というのは、人間にとって実に辛いものです。痛みを感じるということは、感覚が働いているということでもあります。

人間には六つの感覚、いわゆる六根(ろっこん)があります。
目で見る、耳で聞く、鼻で匂いをかぐ、舌で味わう、身体で触れる、そして心で感じる。これが六つの感覚です。

現代は科学や文明が大きく進歩しました。バイオテクノロジーの分野では、人間のクローンさえ理論上は可能ではないかといわれる時代です。AIも進化し、できないことが少なくなりました。

しかし、それほど技術が発達しているにもかかわらず、なぜ人間の心だけは進化しないのでしょうか。

以前もお話ししましたが、四千年前のピラミッドの中に落書きが残っているそうです。
そこには何と書いてあったか。「今の若者はなっていない」と。
四千年前も、同じことを言っていたのです。それだけ人間の心は変わっていないということです。
科学やAIは進歩しても、争いはなくならない。「自分が」「自分が」と主張する心もなくならない。そこに人間の本質があるのかもしれません。

さて、話を痛みに戻します。今、自分にとって何が一番辛いのだろうかと考えてみます。

昔はもっと分かりやすい苦しみがありました。食べることが困難であったり、戦争があったり、生きることそのものが厳しかった。仏教では、人間の根本的な苦しみを四苦八苦と説きます。
四苦とは、生・老・病・死。 生きること、老いること、病むこと、死ぬこと。これが人生の基本的な苦しみです。
さらに八苦になると、求めても得られない苦しみ、嫌な人と会わねばならない苦しみ、愛する人と別れる苦しみ、そして五蘊盛苦(ごうんじょうく)心身が思うようにならない苦しみが加わります。 昔はこの八つで説明がついたのです。

ところが現代はどうでしょう。医療が発達し、病の苦しみは軽減されました。
老いについても、予防法や対策が数多くあります。死は避けられませんが、「百年生きれば十分だ」とどこかで納得できる心もあります。

そうなると、いったい何が一番苦しいのでしょうか。実はそれが、はっきり分からない。これこそが現代の現実ではないでしょうか。何が辛いのか分からない。だからこそ一生懸命に「何か」を探し続け、不安になり、焦るのかもしれません。

昔の人ほど恐れるものは少なくなったはずなのに、自分の本当の苦しみが見えない。まるでお医者さんの麻酔が効いているような状態です。
痛みがないことは一見ありがたい。しかし痛みがなければ、どこが悪いのかも分からない。

そういう時代だからこそ、最後に拠り所となるもの。それが神仏であり、宗教の世界なのではないでしょうか。

以上を持ちまして、2月の法要を終わりにさせていただきます。