2026年 5月の法話
『祈りの力と平和への願い』雨の中、大祭にお越しくださり、ありがとうございます。
例年ですと暑い日になることが多いのですが、今年は涼しくなりましたね。観音様のおかげかもしれません。
最初に、法要の解説をさせていただきます。
まず、讃(さん)とありますが、この讃というのは、法要を始める前に仏様や菩薩様の徳を讃えるお経になります。
次に金剛讃(こんごうさん)とありますが、菩薩様に対して、優れた行いが成就しますようにとお願い申し上げる意味があります。
そして次が本日の中心となるお経で、今回は九条錫杖(くじょうしゃくじょう)をお唱えさせていただきました。
この錫杖を手に取り、音を鳴らしながらお唱えをいたします。
錫杖の音には、仏法僧の三宝を供養し、人々を苦しみから救い、仏の道へ導くという意味があります。
当願衆生(とうがんしゅじょう)――すべての衆生が苦しみから離れ、悟りへ向かうことを願うという意味です。
この広大な世界の中で、仏・法・僧の三宝を供養し、仏の教えを広めていく。
そして、この錫杖を振ることによって、仏法僧を供養し、仏の道を示していくという意味になります。
最初に渡辺社長様からもお話がありましたように、この敬老観音様は、会長様が世界平和を願って建てられた観音様です。
我々人間は年を取ると、どうしても体力が衰え、力が弱くなります。
しかし、積み重ねた知恵と経験は何ものにも代えがたい素晴らしいものです。
そうした高齢者の方々から多くを学び、次の世代の若者たちが成長していく。
その啓蒙のために、この観音様が建てられたのであります。
ところが実際の世の中を見ますと、ロシアとウクライナの争いをはじめ、世界各地で戦争や争いが続いております。
そして、それがいつ終わるのかも分かりません。
また、イランをめぐる国際情勢も、さらに大きな争いへ発展する可能性があるとも言われています。
そういう世の中でありながら、我々日本に住む者は、戦争は大変だと思いつつも、平穏な生活を送っています。
日本には徴兵制度もありませんから、若い人たちも安心して暮らしています。
しかし、もし我々が目の前で戦場の悲惨な姿を見たならば、何を感じるでしょうか。
ただ「かわいそうだ」「悲惨だ」と思うだけではなく、「何とかして争いを止めなければ」と感じるのではないでしょうか。
けれども、我々が知る戦争の姿は、テレビやインターネットを通じた映像です。
どれが本当で、どれが誤った情報なのか、判断が難しい時代でもあります。
しかし、戦争を経験された先輩方が口をそろえて言われるのは、「戦争は、もうしてはいけない」ということです。
これは日本人すべての願いではないかと思います。
そのために、我々一人ひとりにできることは多くないかもしれません。
しかし、祈ることは誰にでもできます。
先日もローマ教皇が、世界平和を祈ると明確に発信されました。
ローマ教皇の言葉は、全世界へ伝わります。
我々一人の言葉は大きくは伝わらないかもしれません。
しかし、一人の願いが人へ伝わり、その国へ伝わり、世界へ広がっていくならば、それはどれほど大きな力になるか分かりません。
日本だけではなく、世界中が平和への祈りに満たされれば、必ず道は開けるのではないでしょうか。
そのためには、まず自分から祈ることが大切です。
今日は春の大祭にあたり、そのことを皆様にお伝えしたいと思います。
祈るということは、まず願うことです。
私たち一人ひとりが、戦争の停戦と平和を願う。
そして、自分の願いを多くの人に伝える。
さらに、その思いが広がっていく。
これがすぐに解決策になるとは言いませんが、やがて大きな力になっていくのではないかと思います。
最後になりますが、お釈迦様がお弟子さんから質問を受けたことがあります。
ある長者が、人々を楽しませるためにさまざまな娯楽を施していました。
「その功徳はどれほど大きいのでしょうか」と。
それに対してお釈迦様は、「今、あなたが私の話を聞いて、そのうちの一つでも次の人に伝えなさい。」
そして、その人がまた次の人へ伝え、五十人目まで伝わったとき、その五十人目に仏の教えを伝えた功徳は、長者の功徳よりもはるかに大きい、と説かれました。
大事なのは、自分が願うこと。
そして、それを伝えること。
それが功徳となり、平和へと結びついていくのだと思います。
そのことをお話しさせていただき、春の大祭の法要を終わりにしたいと思います。
ありがとうございました。







