2026年 9月の法話

『一人の願いから、みんなの願いへ』

今日は雨の中、足元の悪いところ、誠にありがとうございます。秋の大祭で雨の日はあまりないのですが、たまたま今年は気候の不順でしょうか。

いつも最初に、法要について説明をさせていただいております。

まず、お手持ちの1ページ目を開きますと、一番右に三帰三礼(さんきさんらい)とあります。 これは簡単に言いますと、3回の礼拝をするということ、仏様を拝むということです。
この3つというのは、仏・法・僧です。仏様、仏様の教え、そして仏様のあとを続く修行者たち、この3つを三宝といいます。その3つに対して礼拝をする、というお経です。

次は、七仏通戒偈(しちぶつつうかいげ)といいます。
「諸々の悪をなすことなかれ、諸々の善をすすめてやりなさい。悪いことをしてはいけない、良いことをしましょう。それが仏教です」と言っています。

続きまして、衆生無辺誓願度(しゅじょうむへんせいがんど)は、衆生は限りなく無限だけれども、人を助ける、彼岸に渡すということです。ちょうど今、お彼岸ですね。

そして、煩悩無尽誓願断(ぼんのうむじんせいがんだん)、煩悩は尽きることがありませんが、それを断っていこうということ。

次は、法門無量誓願学(ほうもんむりょうせいがんがく)です。仏様の教えは限りがないけれども、自分は一生懸命学びます、ということです。

次は、仏道無上誓願成(ぶつどうむじょうせいがんじょう)です。仏道を成就していく、人格の完成を目指していく、という意味になります。

最後に、このお経を読んでいるすべての人々とともに、大きな願いをなします。これが四弘誓願(しぐせいがん)という、仏様の願いになります。

以上が今日の主な法要でした。

さて、皆さんも、仏教がいつできたかと承知していると思いますが、約2600年前、北インドでお釈迦さまが生まれて、生まれたらすぐ7歩歩いて、そして右の手で天を指し、左の手で地を指して、「天上天下唯我独尊」と言いました。
「仏とは我一人なり」と言ったんだそうです。
それから仏教が広まっていきました。今に至る2600年間、ずっと同じできたわけではありません。
最初の仏教というのは、どちらかというと、個人が一生懸命頑張って、少しでも悟りの世界に近づいて、悟りを開けたら仏になる、という考え方が主でした。
それがだんだん、仏教を信じる人々が多くなってきて、中には、「ああ、自分はそこまで無理かな。だから多くを望まないで、仏様の一歩手前の阿羅漢(あらかん)という位でもいいや」と考える人たちも出てきました。
その宗教が東南アジアに伝わりました。ベトナムやタイ、カンボジアなどです。
一方、自分一人で悟りの世界へ、たとえ行けたとしても、自分一人で行くことに、果たしてどんな意味があるだろう。やはり、すべての人に悟りの世界へ行ってほしい。
その考え方が出てきて、中国を伝わり、日本に来て、大乗仏教という仏教になります。
東南アジアへいった宗教は、上座部仏教という仏教になります。
日本に来たものは、究極は自分一人ではなくて、みんなで一緒に仏様の世界を目指そうよ、ということが根本の要です。

したがいまして、先ほど説明させていただいた、この四弘誓願というのは、その日本に伝わってきた仏教の核でもあります。
特に最後の、この考えを、今は亡き渡辺酉蔵会長様も、敬老の普及、青少年への一つの道標にされたのではないかと推察しております。
そして、仏教の教えの中にあるのは、やはり先に生まれた人は、先にそれだけ尊いものである、人生の先輩である、大切にしなさいと教えています。
さらに言えば、今の世界情勢の中で、戦争をしている当事者同士が、本当にみんなで一緒に平和の国へ行こうじゃないかと考えているでしょうか。
たぶん、いないと思います。
まずは勝つこと。自分たちが勝つことに長く費やしています。
それよりも、みんなで平和を目指そうではないかという気持ち、これが当事者の国々より第三者の国々にどんどん広まっていけば、必ずこの地球上に平和が訪れるのではないかと思います。

まずは自分一人から、この世の平和を願う。これが第一歩です。
それを今度は、人に伝える。私はみんなが幸せになってほしい、戦争が終わってほしい。
それが伝わったら、みんなで祈る、願う。
そうすれば、みんなの声が大きくなり、必ず強くなって、平和な世界になっていくということを最後にお話しさせていただきまして、秋の大祭の法話を終わらせていただきます。

ありがとうございました。